生きろ vol.3
僕は一応dtmの専属とはなっているものの、まだまだ流通をインディーでしているし、実はこの仕事も母は言い目で見ていないので、
「自分の人生なんだから、そこそこの大学に行ったら定職作っていってたでしょ? 別にいいんだけどね。家にはこれ以上お金はないから今の仕事で行けるんでしょ? 援助はしないよ」
とりあえず夢でご飯が食えればいいと思っていた矢先、
父が要介護が付き、介護施設に入所して早めのエンドを迎えている。
弟が二人。真ん中の弟が名古屋の専門に行って、就職までしたが遅刻の常習犯で辞めさせられてそれ以後実家に帰って半引きこもり。一番下の弟は一番良くて、今、母と同じ会社に就職し、一家の大黒柱。母と共同で家を建て直した。一回、祖母の葬式のときに実家に帰ったけど、色々最新なものが揃ってた。
僕自身も、今はひとり暮らし。
それまで援護寮、グループホームを経てだ。
親ガチャも失敗。人生ゲームも低速。
もう終わりかな。って思ったら、僕の詩のことを色々面倒見てくれる施設に通うようになった。
その施設経由で、音楽会社に雇用され、最初はコンセプトガチガチのグループを任されていたけど、ちょうど入ったタイミングで「◯原◯之」や「秋◯康」と言った大御所の詩に改めて新しい曲をはめていたグループに出会った。
それがdtmだった。
メンバーは
超高音でも出せる男子vo.&b.の米原。
双子で地元で有名なg.御雪、深雪。
すごく線が細い女子だがテクニックも音圧も感じるd.齋藤。
いつも曲だし会議は、フリーセッションから生まれるので、とりあえずスタジオで彼らが納得がいくポイントになったら、録音。
30分ぐらい延々とまとめて、早ければ10分。延長は朝8時から昼12まで。15時から20時といったプランでやっている。
幸い、ちゃんとガイドラインまで作ってくれるので、こちらとしてはやりやすい。
そう思えば、昔、楽器無しで1万円で一緒に作った人も、曲を作るの大変そうだな。と思ったこともある。
その後、その時できた音源をデータにしてもらう。そこから先は僕の孤独な仕事だ。
まず、dtmのメンバーにそれぞれその場で作っていたイメージ、肌感、痛み等を聞いていて、そこからメジャー感、マイナー感を選び、相対音感があるかわからないけど、まずイントロの部分から拍をとり、仮歌を聞きながら別の彼らの言葉を見ながらフレーズを当てはめる。フリーセッションだからといって、文字数は多くてもいいと言われていて、1回のセッションから、アルバム1枚作れるくらいの全部パターンが想像できる。