生きろ vol.1.4
いつのまにか夢を無くしてた。そんなタイミングで僕は彼らと会ったんだ。
そしてその夢はかずかずの生き方を提示してくれた。
そんなこと無かったな。
だから今、それから居なくなる選択肢を取りたかった。
あの時は浜松でも雪が降り、道が凍って坂の上の会社に行けず心配して母親が掃除ついでに訪れた。
「あんた、また書いてるの? あんまり溜め込んだら処理に困るよ」
3331美術館のポコラーとにかつて入選した作品の続編が浮かんだので、同時に4作品手書きで書き始め、どこから終わらせようと悩んでた。
「来るんなら電話ぐらいくれんと」
まぁ、多分僕の部屋の心配をしているのはわかってるんだから、その時ぐらいは掃除させない手もある。
紙は自転車で15分ぐらい先の事務キチで300円ちょいのA5の束を買いに行って、それを何束かに分け詩と小説のふたつに分ける。
それを話によって書いた上で他の言葉が浮かぶもんだったから、どれが本筋とか気にしてない。
その頃、偏頭痛が酷く、薬をもらいに行って、とりあえずロキソニン飲んでどうにかしてて、眠気や目眩。
その上に母の僕に対してのこれから先の話。
「やるならとにかく前より先を。もう後ろを振り向くことをしたら引っ張られて結局、いや、前からできてた人との関わり方とか全部なくしゃうよ。その覚悟はあるの?」
それを最後に母は父と事故に巻き込まれて死んでしまった。
残った僕と年子の弟と僕の6つ下の弟は、2局に別れた。
僕は今でも弟と何年も話しておらず、最後に会話したのはコロナ明けで神道で葬って、その翌日には帰ったから。
母は
「もう、家の敷居すら踏めないかもね」
あれ、いつだったっけ。年子の弟が、
「お兄ちゃんが馬鹿なことしてるからバカにされる」
何度もそれで喧嘩になって、吹奏楽部でチューバを吹いていたもんだから、ある程度重いものを持っていて筋肉がついているのか結構一打一打が重くすぐ負けた。
それから高校に入ってから毎日のように陰湿で厄介ないじめを受け、高校2年の時壊れた。
それでも学校に行き、デイケアというものや援護寮、グループホームで疲弊し全部ゼロになり、
それが10年前。最初に悠子のお母さんに会った。
それからここまで来れた。
そしたら、それで例の曲のメロディーを見つけた。
そして最初から最後までちゃんとできたのはたった10分のプログレだった。