立ち止まる
何も積み上げることができないまま時間だけが経過していくことに対して、もはや焦燥感も抱かなくなってきて、でも、それでは駄目だとギリギリのところで踏ん張っているような、どっちつかずな生活を送っている。白黒ハッキリつけることを恐れているだけだ。自分の主張を表明するのってやっぱ苦手で怖い。怖いけど、みんなそれなりにこなしているように見える。そうでもないのかな?
向き不向きなんてのはいつまで経ってもあまり分からない。とりあえず数をこなして「これは無理」とか「これくらいなら大丈夫」を手探りで判断していくしかない。得意だったことが下手になることだってあるでしょう? 得意な気がしただけなのかもしれない。
ぼくは魚が苦手なので食べないが、それも食べるまでは分からないし、ツナマヨとかマグロは食べられるから明確なラインってのが分からない。回転寿司に行ってもコーンばかり食べている。美味いよね。 肉の寿司とかも美味しい。
何か資格の勉強をしてみようと思い、どんな資格があるのだろうと調べるとたくさんあることを知る。この中から何か一つ、となると悩む。自分が知らないだけで実はこの適性があるんだよとか知りたい。でも、それはそれで退屈になってしまうのだろうか。難しいね。けれども、その適性を活かしてフルに活動している自分も見てみたい。今の自分とは全く別人だろう。そんな気がする。
好きなバンドマンに影響されてアコースティックギターを弾いている。今まではコード弾きくらいしかしてこなかったが、それ以外のこともできるようになりたい! となって練習している。一芸あれば何かと便利だろうし、あと単純にギター弾けたらカッコいい。頭の運動にもなるだろうし。上達したとして、誰かに披露する機会があるのだろうか。自発的に行動しなければ多分ないだろう。ライブハウスのステージからはどんな景色が見えるのだろうか。客側から見るステージは光り輝いている。眩い照明の中にバンドマンはいる。いつか、立ってみれば分かるのだろう。
読書は変わらず好きだ。一人で完結している趣味で、基本的に場所も自分で選べるし、どれだけの時間本を読むかも決められるのがいいのだろう。「今日はここまで読む!」と決めていても「やっぱここでしおりを挟む」なんてことができる。自分の性格に合っているのだろう。今年は小説よりもエッセイや新書を読んだなぁという感じだ。今年最初に読み終わった本は「愛と幻想のファシズム」の上巻だった。今年、村上龍さんの本を6冊読んだ。
人生は努力をすればするだけ報われる可能性は増える、と思いたい。報われるの度合いは変化するが、何かしら事態が好転してほしいと思う。願望だ。けれどもそんなに甘くもない。駄目な時はやっぱり駄目だ。どう立ち上がるかが大切なんだろう。切り替えの速さってとても大事だ。一度立ち止まってミスの原因を的確に理解し、同じミスをしないように努める。文章にすると短いけど、めちゃめちゃ重要なスキルだ。勉強とかしててもテストで間違えることもあるし、何度も繰り返し頭に叩き込むしかないのだろう。
来年は行動力のある人間になろう。そのためにはスケジュール管理を大切にしなければいけない。来年は更に知見を広めていきたい。本もたくさん読みたいし、映画もたくさん観たい。好きなバンドのライブにも行きたい。行ったことのない場所に行って、食べたことのないものを食べたい。そうした体験で得たものをインプットするだけでなく、何かしらの形でアウトプットしていこうと思った。