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タンスの中の思い(前編上)
今日は、昨夜のうちに介護保険課からの依頼が入ったため、朝いちでの訪問となった。まだ、夜明けは寒い。肩をすくめながら車のエンジンをかける。
どこの地域にも忘れられたようにひっそりと建っている共同住宅がある。立石亮介はその一角に、一人で住んでいるとのことだった。
保護費を取りに来ず、電話をしても出ないため、様子を見に行ってほしいという。
ウチの事業所の担当ではない。つまり、稼動しても一円にもならない。
管轄地域ではあるのだが、こういうケースは営利事業所ではなく、圏域の包括支援センターに依頼してほしいものだ。
昨夜遅く、草香江泰子は利用者宅で打ち合わせ中に電話を受けた。どうせ包括支援のスタッフは時間外で対応しなかったに違いない。
はっきりとは要求しなかったが、できれば今すぐにも訪問してほしいという口ぶりが介護保険課の担当から伝わる。
だがそこは遠方の訪問先で入所の相談に時間がかかり、本人と家族の意向が違うためにまとまらず、電話を受けた時はまだ帰宅できずにいたのだ。
草香江泰子が運営するケアプラン事業所は、経験年数10年以上のベテランばかりがそろい、担当地域ではすでに名声を得ていた。
評判を聞きつけて時々他県からも依頼が入る、介護保険発足以来の歴史を持つ事業者となっていた。
なにより、時間外や休日も関係なく、仕事内容を選ばず速やかに動いてきたため、緊急時や問題事例の案件は、優先して草香江の事業所に依頼が入るのだった。
相談を受けた時から、泰子はなにかしら不穏な気配を感じていた。とにかく様子を見てきてほしいと言う場合は、過去の経験からしてもあまりいい結果にはなっていない。昨晩訪問しなかったことが妙に気になって仕方がなかった。
はやる気持ちで自宅に到着し、チャイムを鳴らすが返事がない。エレベータがないため、上階から早い通勤者が狭いコンクリートの階段を急ぎ足で降りてくる。そのたびに玄関にたつ泰子の身体にぶつかりそうになる。
取り壊し前の古い市営住宅の一階、すえた匂いの中でしばらく待ったが気配がないためドアノブに手をかけると、開いた。
担当でもなく会ったこともない老人の名を、再度書類で確かめる。
「立石さん」と呼びかけ、靴や草履が脱ぎ捨てられた薄暗い入口に一歩足を踏み入れた瞬間、息をのんだ。
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