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聴診器(前編中)
「ああ、そういうことなんですね」とハンカチで顔を押さえ、千絵は肩を落とした。
「立花千絵さん、介護は終わりが見えません。長い道のりかもしれませんよ。介護する人が、まして一番キーパーソンのあなたが疲れていてはいけません。私たちはご本人を介護することも大事ですが、ご家族が自分の健康や暮らしをこわさないようにしっかり伴走しますからね」と言った茜の言葉に、千絵は泣きだしてしまった。
よほど辛い思いを抱えていたのだなと茜は言葉を継ぐ。
「これからはなんでも相談してください。ご家族にはかないませんが、福祉に関してはアドバイスできますから。答えが出ない時は一緒に悩んで考えますから」
主治医に了解をとって訪問診療に切り替えたほうがいいだろう。ヘルパーは機転の利く人でないと務まらない、やっぱり訪問介護「連」の吉野みちるに相談しよう。
翌日、茜はロゴとネームの入った制服から私服のジャケットに着替えた。
さてと、バインダーくらい持ってた方がいいかな、と茜は地域のお世話係のおばちゃんになりきる。
事情を呑み込んだメンバーたちが「じゃ、頑張ってください」と声をかけながら利用者宅や役所に出かけていく。
後ろのデスクからは、オーナーで管理者の草香江泰子がニタニタしながら面白そうに支度をする茜をながめていた。
門に鍵はかかっていないと娘から聞いている。わざと大きな音を立てて門を開け、茜は玄関のチャイムを鳴らした。
返事はない。お決まりのパターンだなと茜は思う。
「こんにちわぁ」と元気に声をかける。しばらくすると、奥から気配がしてドアがすこしだけ開けられた。
「どなた?」凛とした声で返してきたが部屋が暗いので表情はわからない。声の調子からは、娘から聞いていた気丈な母親の姿勢が見えるような思いがする。
「あー、久しぶりです佐々木さん、音無です。」茜は勝負に出てみた。気位が高い認知症の人は、知らないとか忘れたを自分で認めたくない傾向が強いからだ。
思ったとおり、佐々木勝枝の硬い雰囲気が少しだけ緩んだ。
「あらそうぉ、どこかで会ったかしらね」
「はい。すぐ近所ですからよくお会いしてましたよ。この頃お見かけしないので心配してましたが、お元気そうですね」
「ええ、一人だからね自由にしてますよ。寒いから出かけないだけでどこも悪いところもないし、で、今日はなんの御用?」なるほど、聞きしに勝る気の強さを発揮してくる。
「私、この町内で一人住まいの方のお世話係に決まったんですよ。今日はそのご挨拶です」と言ってみた。
「ふ~ん、私はなんの世話も要らないですよ。全部自分でできますからね」
佐々木勝枝はすぐさま警戒の様子をかもしはじめた。
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