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引き出しが見せつけた現実

中2の冬。インフルエンザが流行していた時期。
私の1つ前の席の子がインフルエンザにかかった。

その子(以下、M子)は、私とは何もかもが真逆だった。
背が高く、ロングヘア。はっきりとしている顔立ち。
クラスの中でも目立つ女子グループのリーダー格。
今でいうところの一軍女子である。
おまけに物怖じしない性格で、先生に取り入るのも上手だった。

反対に私は、149cmの身長。持病持ち。
どこの女子グループにも属さず、昼休みにはSF小説を図書室で読み、
空想にふけるような生徒。
礼儀正しいとは言われるものの取り入るのが上手いという訳ではなく
自分の思いを伝えることができない不器用なタイプだった。

ある時、M子がインフルエンザにかかり、
日々配布されるプリントを休んでいる彼女の引き出しに入れようとしたとき
私は心の中で、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
置き勉しており、引き出しがテキストで満杯でプリントが全く入らなかったのである。
そのころ、置き勉は禁止されており、放課後に学級担任が見回りをしていたほど、厳しく禁止されていたのだ。
えこひいきという言葉は好きではないが、担任が彼女に甘いのは知っており、実際に彼女が禁止されていることを許されていることを知ったとき、
小さな絶望を感じた。
「ああ、この世の中は媚びるのが上手くないとやっていけないのか」

大人しいながらも時々勢いに乗る私は、担任にこう言った。
「M子さんが置き勉をしていて、プリントが入れられないです。」

「じゃあ先生が預かっとくね。」私はこの言葉を期待した。
しかし、現実は甘くない。
「ああ」と罰の悪そうな笑みを浮かべ、私にこう言い放った。
「学校に来るまで預かっといて。」と。
私が言い返すことができないことを知っていてそう言ったのだろう。
しかし、これはどう考えても教師としておかしい点がいくつかある。

  1. 置き勉はそもそも認められているのか

  2. なぜ不真面目な生徒のプリントを真面目な生徒が預からないといけないのか

  3. 引き出しという限られたスペースをなぜ私が不真面目な生徒のために分けないといけないのか

  4. なぜ担任が保管するという選択肢がないのか

上記4点を是非に考えてほしい。
私は間違ったことを書いているだろうか。

23となった今ではこう言い返せるだろう。
しかし、中2の私には言い返すのはハードルが高すぎた。
担任に「はい、分かりました。」この一言だけを返し、
持っていき場のない感情とプリントを抱え、自席に戻った。

M子がインフルエンザから復活し、登校してきた朝。
私は預かっていたプリントを渡した。
お礼を言われることもなく、あっけなく私のプリントを預かった日々は終わったのである。
その日の給食の時間に彼女がクラスで人気だった男子に
「マジでインフル辛かった。唐揚げ1個食べるのに1日かかった。」と
しょうもない報告をしていたあの時の声を忘れることができない。
あまりの虚しさに家に帰って、母に泣きついた。
担任を罵倒する母にどれだけ救われたことだろうか。

寒くなるとこの小さな絶望をどうしても思い出してしまう。
この頃より要領良く生きるのが上手になってきた最近、
こんな不器用さを懐かしく愛おしく思うのは何故なのだろうか。





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