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初めての感想文/知ってしまったから


あらかじめお詫びしておきます。
気分を害されたらすみません。
自分のような弱小物書きが人様の作品について語るなぞ
恐れ多いことですが
「応援してもよい期間」というのに乗じて
創作大賞投稿作の感想を少しだけ書いてみようと思います。
ただ感想文がとても苦手なので、拙い文になってしまいますが
いずれも素晴らしいなあと思うクリエイターさんです。
フォローしていない方もおられるので
「どちら様でござんしょ?」とぽかんとされるかもしれませんが
ひそかなファンとして恐縮ながら書かせて頂きます。
返事を書くのが苦手なのでできればコメントなしでお願いします。
憤懣煮えたぎるお怒りでしたら甘んじてお受けします。


「針を置いたらあの海へ」 早時期仮名子様

この方のすごい所は筆の早さと文章の正確さである。
まるで点数をガンガン決めるバスケット選手。
途中交代で出てきたら相手チームが頭を抱えるポイントゲッターのよう。
だからなのか個人的に早時期仮名子さんの書くものには
フィジカルの強さを感じる。
ロードムービーみたいに物語がどんどん進むので飽きが来ない。
一方で探究心も旺盛で勤勉である。
ご本人が編み物やタトゥーを実際されてるのかは存じないが
そうでないとしたらよくお調べになったと感心するほど詳細だ。
男性同士の恋愛ものは珍しくない設定だが
主人公がニットを編み、彫師に恋をするなど本作以外ないだろう。
このマッチングのアイデアはすごい。
主人公は高校を中退していて、タトゥーは日本ではまだ毛嫌いされている。
世間的に見ればややはみ出し者の二人だが、何を選択しようと
「これが私の生きる道」を邁進する者はカッコいい。
そして恋愛を通して人間の成長についても繊細に描かれている。
迷うからこそ答えを求めて自身を見つめ直す。
そうして奥底にある願いの声を聞く。
他者と共生してゆきたい思いは愛の根元であり
それを恐れなくていいと力強いメッセージが込められていて
口にしたくなるような良い台詞がたくさんある。
嬉しいのは自分もいつか行ってみたかった関門海峡が出てきたこと。
その描写を読むだけでバナナ売りの声が聞こえ、港の潮風を感じられ
わっと映像に入り込めるほど鮮明だ。視点が変わるラストもいい。
なにより早時期仮名子さんご自身がこの物語、登場人物たちに
深い愛情を注がれているのが伝わってきてその辺もグッとくる。
こうした強い思いで書かれた作品が創作大賞に選ばれたら嬉しく思う。
より多くの方に「早時期仮名子」さんという柔軟で確実性のある
作家さんを知ってもらえたらなによりである。


 「愛玩の君」    静森あこ様

この方の小説は全部怖い。ホラーじゃなくてもちゃんと怖い。
読む前は多少の覚悟を要する。なぜなら絶対衝撃を受けるからだ。
映画「ミッドサマー」の不気味な儀式の目撃者になったようである。
彼女の作品は常に天井から何かが滴ってるような謎と奇怪さを孕んでいる。
それが肌や髪に落ちる不快さ。そして滴の正体はなんなのか?
暗い階段を一歩ずつ上ってゆく緊張感。
踏みしめる板の軋みや差し迫る正体不明の不穏な空気を書かせたら
静森さんの右に出る者はいない。
流れるような美しい文章で現実と幻想をいったり来たりする。
まるで催眠術。そして気がつけば読むのに夢中になっているのだ。
静森さんの小説には逃げ切る人が出てこない。
あーよかったの結末が存在しない。いつも誰かが何かに掴まっている。
仕事なり趣味なり推し活なり、夢中になるものや執着するものがあると
生活に張り合いも出て、楽しく生きるためにむしろ必要だったりするが、
静森さんの小説に出てくる登場人物が欲しがるものは相手が苦しむものだ。
ほとんど偏執的に熱望し、相手も本人も危険な妄想の囚われとなる。
創作大賞締め切りわずか一週間前に書き出したという「愛玩の君」
にしては完成度が高過ぎる。なぜまだプロじゃないのだろう?
正直静森さんが「いじめ」「復讐」といった題材を選んだことは
以外だった。彼女にしては普遍的な設定な気がした。
だが残酷描写は文章力が問われる。
痛みの表現は読者が離れてゆくことを怪訝して躊躇しがちだ。
けれどもありがちな物語も静森さんが介入すればただでは終わらない。
圧倒的世界観と筆力あるままに書ききる容赦ない無慈悲さで、
彼女にしか生み出せない悪の聖典が見事に仕上がっている。
この物語にはあやしげな大きな屋敷が登場するが
静森あこさん自体が「静森あこ」という一軒の屋敷ではあるまいか。
この屋敷は一度入ったら出口はどこにもない。
彼女の言葉の魔力に囚われて、トランス状態に陥りながら
次の部屋、次の部屋へと移り続けるしか逃げ場はないのだ。


 「ひと夏の恋……未満」   霜月透子様

ずるい。このエッセイを読んで最初にそう思った。
こんなコバルト小説みたいな青春送っている人が本当にいるのか。
ためらい。ときめき。戸惑い。疑心。勘違い。喜び。
恋は何歳になってもできるものだが若い時にしか味わえない恋がある。
このエッセイには霜月さんご自身が高校二年生の時に経験された
読むだけで「たまんねー!」と叫びたくなる甘い思い出が綴られている。
霜月さんといえば昨年の創作大賞恋愛小説部門にてホラー小説でデビューを
された、ものすごい方である。ジャンルを超えて審査員の目に止まったのは
やはり卓越された文章力と物語に引き込んでゆく吸引力の強さだろう。こういう方こそ真の実力者で、感想もなくスキ数も伸びなかったと仰られていたが「ここまで書ける人、もう応援せんでもええわ」と、ある意味別格だったからかもしれません。なにより結果がすべてを物語っていますから。
霜月さんの文章には迫力がある。一小節の出発点から着地地点まで一切ぶれない。いつも変な文になってしまう自分には羨ましい限りである。今も変。
おかしなたとえで申し訳ないのですが、霜月さんのお書きになったものを
読む度に「ここに頼めば間違いなし!」と太鼓判付きの優良工務店みたいだと思う。正確で手抜きをせず完璧に仕上げてくれるから、みんなが安心して住める家が完成する。だから物語に瑕疵も見当たらず非の打ち所がない。
こんな才能を持ち合わせながら、こんな甘い青春の思い出まであるなど
ずるい!以外言いようがない。本当に指をくわえてしまう。
自分は高校生の時に最初に付き合った人が複雑な家庭の人で一緒にいていつも暗かった。話すことと言えば人生相談で、夕暮れの土手を歩いてもきらめきがなーい。キラキラしたこのエピソードまんま体験してみたかった。
以前「筋肉少女帯」の大槻ケンヂが、学生時代は友達も彼女もおらず、暗黒の青春を送ってきたので、バンドが売れて女の子が寄ってくるようになっても、自転車2人乗りしている高校生のカップルを見掛けると「コノヤロー!」と殴りたくなると言っていた。気持ちが分かるっす。届かない憧れって憎たらしい。その時しかできないことをやり損ねた遺恨は永遠残るのだ。
相手の男の子をサイテーだったと言っておりますが、ザコシ風に言えば、ええやん、ええやんです。「どこ掴まればいいの?」なんて、それだけで良い。
霜月さんの書かれるものの土台がしっかりされてるのは、経験という下地があるからなんですね。若い時に植えるべき苗が自分にはなかった。種が育って地に根の張った方はちゃんと花が咲くんだなあとしみじみ思いました。


ご本人様の意図と異なる的外れな感想で誠にすみません。
削除要請がありましたら早急に対応します。🙏

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