
シロクマ文芸部/春先にて
三月に父が実家を売るという。再婚するので、新しくマンションを買ってそちらに移るらしい。妹は反対したが私はなにも言わなかった。
「お姉ちゃんいいの?相手スナックのホステスだよ。そんな人と結婚するために家売っちゃうなんて信じられない。家族やお母さんの思い出が詰まってるのに。ひどいじゃない」
父の宣言からひと月、一緒に実家の片づけに来ていた。父は外の物置、私と妹はキッチンの戸棚の整理をしていた。
「いいじゃない。本人がそうしたいんだから」
「お姉ちゃんて冷たいよね。あたしよりこの家で過ごした時間が長いの
に。 帰る場所がなくなっちゃうんだよ。寂しくないの?」
口をへの字にして新聞紙に食器類を包んでいた。姉妹でも立場が違えば環境も 扱いも変わる。親との関係も然りだ。妹にとって父親は優しい存在で、実家はいい思い出の詰まったかけがえのない所なのだ。
玄関が開く音がして、グレーの長袖のポロシャツに緑色のチョッキ姿の父が腰を屈めながら戻ってきた。手に梅の枝を持っていた。庭先にある白梅を手折ってきたらしく、こぶりな花をつけた細い枝を握ってキッチンの隣の仏間に入ってゆき、母の遺影の前に飾った。
私たちはその様子を黙って伺った。二十五歳も年下のホステスと再婚するのが後ろめたいのか、あまりこちらを向こうとしない。 自分のことになるとうやむやにする。口出しするなの態度で質問を遮断する。沈黙を貫く背中を見ているのが嫌になり「二階やってくるね」と私はキッチンから出ていった。
この家にいると息が詰まる。特に父といると。母は好きだったが、誰の味方にもならない人で、何かが始まったら終わるまで待つだけの干渉しない主義であったため、私を叱咤する父を止めない代わりに、皆が眠った後に、生クリームを乗せたプリンを出してきて、頭を撫でてくるような人であった。
私は父にとても厳しく育てられた。礼儀作法から勉強に至るまで。テストが百点じゃないと裸足で外に立たされたり、口答えすると夕飯抜きになる。 私立の難関中学に合格するために勉強浸けの毎日を送った。
「お前の都合など後回しだ。まず賢くなれ」
父が作ったルールに私はずっと従ってきた。昔は仕方なく、今ではわざとだ。だから六年前に母が亡くなって以降、孫に当たる娘のバレエの発表会にも、誕生日にも父を招待しない。 相手の気持ちを考えないでいい教えをあなたから受けてきた。思い通りの娘に育って嬉しいでしょ?ほら成功したわよと見せつけたかった。
みみっちい復讐だと自覚しているが、父が絶対に謝ってくれないから、こちらも終わり時を見失っている。早く終結したいのに、どちらも意地になって、なにも生み出さない冷たい戦争を何年も続けているのだ。
だが妹はまるで違った。父とはなんのわだかまりもない友好的な親子関係を築いている。父が好きで、躊躇なく甘えられ、父も妹には甘い。
八つ下の妹は二歳の時に背骨に異常が見つかり 自力歩行ができなかった。母は妹に付きっきりになり、父も妹には別人のように優しく接した。
へえ。そう。優しくなれるのに私にはしないんだ。つまりしたくないってことね。私のことが嫌いだから。やるせなさと悲しみが私を頑なにした。 人を許さない人間に。 三度の手術のおかげで妹は歩けるようになり、今では日常生活全般も仕事も普通にこなせる。それはもちろん嬉しいことだが、当たり前に愛されてきた妹が時々無性に憎らしく、羨ましかった。
二階には姉妹の部屋がそれぞれあったが、どちらも結婚の際に片づけを済ましていたので、納戸代わりになっている和室をやることにした。
物を捨てられない父が溜め込んだ部屋は、文字通り足の踏み場もないほど 要らぬ物で溢れていた。使わなくなった家電や埃の被った運動器具。表紙の褪せた本などがごちゃごちゃ置かれており、湿ってカビ臭かった。
少し寒いが窓を開けてから片づけに取り掛かった。勝手に捨てると怒られるので、明らかに壊れてそうなものとを分けていった。すると押し入れの奥の行李に見慣れぬ千鳥格子柄の箱があった。
海苔の缶が二つ収まるぐらいの 大きさで、古い物ではあるがまだ綺麗に形を保っていた。手に取って開けてみると、黄ばんだ封筒がいくつも重なっていいた。差出人は知らぬ男性で母宛だった。全て開封されていた。
一番上の手紙を取り出し、封筒から便箋を抜き、丁寧に四つ折りされた紙を開いて読んだ。 筆圧の強い右上がりの文字で綴られていたのは愛の言葉だった。母がもう 他の人の妻と知っていても尽きぬ想いが、熱く切なく語られていた。何枚も 何枚も…。
手紙の束の下には四十年前の母の日記帳が三冊ほどあった。ページは苦悩で埋め尽くされていた。母はこの人を愛していて結婚するつもりだったのだ。しかし 彼は絵の勉強でパリに行き、帰国予定日になっても帰らなかった。その頃に 父が母を見初め、もう諦めるために結婚した直後、彼は戻ってきた。日記には離婚の決意と自分を叱責する言葉が交互に出てきた。
「あの人が娘に厳しくするのは、どこに出しても恥ずかしくない娘に立派に育て上げ、自分は良き父親だと自信を持ちたいからです」
胸にすうっと風が吹いた。母が別の人に恋をしていると気付いていて、それを押し殺しながら、父はその役目を果たそうとしていた。だが日記も手紙も妹の病気が発覚した頃で途絶えていた。妹のために夫婦をやり直したのだ。
でも当時の私には知る由もない。父も苦しんでいたなど。本来は優しい人だったことなど。 辛い思い出しかない家。父もそうだ。ここを手放すことは、互いの解放への門出。窓の外に見える尖った枝が花が教える季節の流れ。
もう冷たい風は吹かないと…。
今はまだ八分咲き。花冷えの梅。
今年は私の中に待ちわびた春が訪れる気がした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こちらの企画に参加させて頂きました。
花粉症には辛い季節の到来。ちなみに絶対鼻はかみません。
一度でもかむとトンネルが開通して流れっぱなしになるのでただ耐える😷
最後までお読み下さりありがとうございました。
小牧幸助様 宜しくお願いいたします。