ウタと歌と「私は最強」(ONE PIECE FILM RED)
※ONE PIECE FILM REDのネタバレを含みます。
※映画を見ている前提で話をします。
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ONE PIECE FILM RED を観た。
公開されたのは2022年の8月だが、私が見たのは年が明けて1月、公開終了の1週間前だった。
それから1ヶ月経ち、ウタへの気持ちがおさまらず、こうしてnoteを書いている。
ワンピースといえば言わずと知れた大ヒット漫画だが、わたし自身に深い思い入れはない。いわゆる「空島脱落組」であり、そもそもの価値観があまり合わないような感じがして、どちらかといえば好きな作品ではなかった。
それにも関わらずフィルムレッドに興味を持ったのは、今作のメインキャラクター・ウタが歌う「私が最強」が素晴らしかったからだ。
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今作は「歌」にフィーチャーしており、ウタによって、劇中で7曲の歌が歌われる。ウタの歌唱を担当するのはAdo、楽曲提供者はそれぞれ異なりいずれも豪華メンバーである。「私は最強」は、Mrs.GREEN APPLEの大森元貴による楽曲だ。
わたしはこの曲を聴いたときとてもワクワクして、思わずストーリーを想像した。
シャンクスの娘であるウタは歌うのが大好きな歌姫で、なにか理由があってシャンクスと離れてしまうのだろう。世界を巻き込む事件が起きて、なんやかんやルフィとシャンクスが助けてくれて、ウタの歌で世界は救われ、ハッピーエンド。
歌歌えばココロ晴れる、握る手と手、ヒカリの方へ、アナタの温もりで私は最強、アナタと最強……
きっと、ウタが歌で世界を幸せにするストーリーに違いない。
わたしは元来から歌うことが大好きで、青臭い言い方ではあるが、歌の力を信じている。歌を歌えばココロは晴れるのだ。
だからこそ、ウタが歌で世界を幸せにするところを見たくて、劇場まで足を運んだ。
だが、実際のストーリーは想像とは大きく異なった。
世界を巻き込む事件を起こすのはウタであり、ルフィもシャンクスも、ウタを救うことはできなかった。
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劇場をでたわたしは泣きながら混乱していた。
「私は最強」を歌うウタは「ヒカリ」をわかっていないし、「アナタ」も「温もり」も失ってしまっていたことが、どうしようもなく悲しかった。
わたしは歌うのが好きだ。自分が歌うことが好きで歌の力を信じているから、ウタにもそうであってほしかったのだ。ウタがのびのびと歌を歌って、みんなを幸せにして、愛されてほしかったのだ。
ウタは歌っていて楽しかった?歌うことが好きだった?歌う自分が好きだった?……
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映画時点でウタは21歳だが、前日譚のアニメで、赤髪海賊団と過ごした9歳の頃のエピソードを見ることができる。この時ウタはすでに、歌の楽しさも人が聴いてくれる喜びもステージに立つ気持ちよさも知っている。世界を回って歌うという、明確な夢も持っている。
そんなウタがエレジアという閉鎖空間で聴衆もなく歌を練習するだけになってしまって、辛くなかったわけがない。
ゴードンは徹底的に善人として描かれており、実際にそうであることに異論はない。彼なりの葛藤があったことは承知している。しかし、ウタの力を信じていたのなら、ウタの力を恐れてエレジアに閉じ込める(とわたしは表現する)ことなんてしなかったと思う。
音楽の喜びや海の広さを知っているウタが12年間一度も「エレジアを出たい、人に会いたい」と思わなかったとは考えにくい。ゴードンがウタと向き合っていればウタはあんな独りよがりな状態にならなかったのではないかと思うと、ゴードンが無実とは言いがたい。
一方シャンクスに対しては「シャンクス!なんでだよーーー!!!」とウタばりに叫びたくなる。まさにその夜「エレジアに残らず赤髪海賊団といたい」と答えたウタを、崩壊したエレジアにゴードンと2人きりで残すという選択は、どう理由をつけてもわたしには理解が難しかった。ただしシャンクスは、ウタの力を信じていたのだろう。悲しいことに、ウタの望みに反してまで、救世主としてのウタを夢見てしまうほどに。その点においてシャンクスは、ゴードン以上に罪深い。
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決して、シャンクスやゴードンを糾弾したいわけではない。あの結末はウタ自身が望んだ結末であるのはわかっている。
それでもわたしは、愛おしくかわいらしく優しいウタに幸せであってほしかったし、歌う喜びを享受してほしかった。ステージに立ちながら歌を攻撃に使い、罵声をあびるなんて辛い思いをしてほしくかった。世界を歌で救い、笑う姿が見たかった。
(……ただ、この気持ちを勝手にウタに押し付け期待して落ち込むのは、救世主としてのウタを求めウタ本人をみていなかった映画の中の聴衆そのもので、自分が露悪的で二重に落ち込む)
もしかしたらウタは歌わないほうが幸せだったのではないかなんて思いたくないのだ。ウタウタの実さえ食べていなければ、歌が好きなふつうの女の子でいられたのに。彼女が自分でした選択を否定したくはないけれど、それでも生きていてほしかった。
エンディングでウタの歌を聴いていた人々。彼らはきっと、ウタが生きていればもっと歌を届けることができた人々だ。生きてさえいれば映画後の世界で、ウタが歌で人々を救い、ウタ自身が幸せに生きる道があったのではないかと思ってしまう。ウタに笑っていてほしくて、無数のifを考えてしまう。
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わたしの大好きな作品に、「ココロの大冒険」がある。まさに歌の力をテーマにした物語で、登場人物みんなで「あしたははれる」を歌い主人公ココロくんが立ち上がるシーンは、思い出すだけで泣きそうになる。
歌うことは自己表現であり自己肯定だ。わたしはウタに「あしたははれる」を歌ってほしかったのかもしれない。
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「私は最強」に立ち返るとあれは、強くありたいと願うウタが、自分自身に言い聞かせる歌だったのではないか。自分は間違っているかもしれない、望まれた行動ではないかもしれないと気づきながら、みんなのために強くあろうとする歌。「アナタと最強」の「アナタ」はシャンクスだと初めは思ったが、「誓いを立てた日のウタ」という解釈がわたしにはしっくりきた。それならばたしかに、高らかに歌えるはずだ。
ウタは最強ではないかもしれないけれど、シャンクスにとっての最愛だった。そしてわたしは、どんな環境にあっても間違えていても人のために救世主たろうとしたウタが大好きだ。
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わたしはまだ、フィルムレッドを一度しか見れていない。Blu-ray(予約した)を繰り返し見たら、またちがう捉え方をするだろう。
やはり価値観の相違を感じる点は多くて、きっとこれからも、わたしはワンピースを読まない。それでもウタの歌は、わたしの中に響き続けるはずだ。
ウタに出会えてよかった。
ウタがどうかどこかで、幸せでありますように。