30代前半の友人関係について思うことなど(2024年2月24日)
わたしには良い友達がいる。学生時代に出会って、自分とは全く違うタイプの友達だ。彼女たちの生き方はとてもユニークで、わたしたちは全然似たり寄ったりなんてしていない。20代の間はとても楽しかった。大学を卒業して仕事のために遠くへ引っ越しても、なんとなくまた会える気がしていたし、なんとなくまた集まっていた。
でもコロナ禍になって、重なるようにみんな30代になって、関係性が変化した。それはもちろん、わたしも含めてだ。
転職、引っ越し、結婚、気づけばアメリカへ移住し、もうすぐ母になろうとしている。
以前と比べるともう自由に使えるお金はないし、しばらくすれば自由に使える時間でさえも無くなってしまう。
人はいつから、遊ぶというと「飲みに行くこと」ぐらいしか無くなってしまったのだろうと切なくもなる。子供を夫に任せて飲みに行くなど、向こう何年できなくなるかわからない。そうしてるうちに40代が見えてくるのだろう。
かつて、わたしは自分の母親に友だちが少ないことを無邪気にも聞いたことがある。年賀状は来るのに、毎年「今年こそ会いたいね」と書かれては、母が友達と出かける場面をほとんど見たことがなかった。
わたしの質問に母は苦笑いしていたが、今なら気持ちがわかる。
友人に対しての大切だと思う気持ちは変わっていないのだが、歳を重ねることでそれぞれのライフスタイルが少しずつ変化していって、結果的に距離があいてしまったのだろう。
母はとても献身的にわたしたちに尽くしてくれていた。父は出張が多くほとんど家を空けていた。稼ぎの問題なのか、自分がそうしたいからかは分からないが、週休1日しかない仕事をずっと続けているし、気難しい義母(わたしからすれば祖母)と20年以上同居している。
母はもうずいぶん夕飯を外で食べることはしていないし、家を一晩あけることもしていない。わたしたち子供が遠くに住んでいる分、会いに来てほしいが、高齢の祖母に縛られて出てこられない。そんな姿を見ていると、自分の自由もいつか失われていくのではないかと恐ろしくなる。
話は戻るが友人のことである。
妊娠報告を友人たちの集まっているLINEグループでした時、わたしは事前にかなり報告の内容を吟味した。人にはさまざまな背景があるだろうと勘繰って、誰の気持ちも削がないように、とてもシンプルに報告した。自分にだって紆余曲折あったし、聞いてほしいことはたくさんあったが我慢した。
それでも、グループの中で一番仲が良かった子が何もコメントをしてくれなかった。他の子たちは祝ってくれたが、わたしはすごくショックでしばらくそのトークルームを見返すことができなかった。
個人LINEで話せばよかったのかもしれないが、数年前のコロナ禍にどうしても会いたいと言ってきたその子の提案に対して、わたしは「まだ不安なんだ」と言って断った。その画面で止まっていたので、蒸し返したくなくて個人LINEも開けなかったのだ。
彼女が何を考えているのか考えたところで仕方ない。言ったところでこの反応だったのだが、言わない訳にもいかなかった。伝えたかった。心から祝福されなくても何か言ってもらえると慢心していたのかもしれない。
昔の関係性ならとてもたくさん祝ってくれただろう。その妄想に浸っていたのかもしれない。
とにかくわたしは少しの傷つきを抱えた。この発言こそ慢心だと自分でも気づいている。だからこそわたしはこの事を他の誰にも話していない。でもそれだと自分が辛いのである。Noteに吐き出すことで、わたしが少しでも救われたと感じることができるのであれば、大きな心で見逃してほしい。
わたしたちはまた、元の関係に戻れるのだろうか。心が離れてしまった恋人を追いかけるような気持ちに似ているが、そんなものより断然執着が強い。
自分にとって一番濃い人生を過ごした期間を共にした戦友のような友人たちなのだ。大切にしたいし、付き合いを続けたい。でもそれはまだ今じゃないのかもしれない。30代前半で一旦離れてしまう友人がいるのは、少ないことではないのだろう。いつか彼女たちとまたバカみたいなことで笑って、一緒に思い出を共有できる日がくるといいなと心から祈っている。
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