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鬱になったが、生きている

「私の鬱の行く末」

私の鬱病は社会への適応障害なんではないかという解釈に辿り着きました。

死にたいというのは逃げたい
逃げたいというのは生存本能なので
生きたい

だけど

草食動物も立ち止まって草を喰まないといけない
そのうち走れなくなる。

でも怖すぎて食欲がなくて、休むことで体力温存していたんですよね。

恐怖より食欲が勝った。

やっと勝ったので、急いで食べて体力をつけているところなんです。

休んで、食べて、走る

鬱って、それを大袈裟にやっているだけなんじゃないかな。

休んで、食べて、走る

それが満足にできたら、私は人生満足です。なので過去も今も、私は私の人生に満足しています。


適応するっていうのは、それを大袈裟にしないように、するってことなんじゃないかな、と。1日の単位でそれをしていくことに幸せを覚えられるようになるっていうことなんじゃないか、と。

私は人生通して、基本的に大袈裟にやってきたので、今それをお勉強中なんです。

ただ、一つ悔やまれるのは、自分を傷つける行為を、緩やかにでも行ってしまったことです。自分に申し訳ないです。

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