手術といじめと決断と。
皆さん、こんばんは
今回は小学・中学の頃の話をしていこうかなと思います
手術の延期
私は小学2年の時初めて足の手術を受けたんですが、実はその手術は元々2年前にやる予定だったものでした。1度目のは高熱で。2度目の延期は喘息性気管支炎の発症でした。
どちらも仕方の無いことだったのですが、今思うと手術への恐怖と、体調が崩れれば母が心配してくれると子供心に思っていたのかも知れません。
この時期わたしが6歳になるくらいの時から、両親と祖母との関係の悪化で近郊に住んでいた祖母との面会が禁止になっていたので尚のこと気を引きたかったのです。
手術を受ければ、半年は退院できないことがわかっていましたし、正直嫌だったんでしょう。
この時の手術は緊張の強い筋肉に切り込みを入れて緊張を和らげるというような内容でした。(正式な名称は分かりませんすみません…)
この手術で私には両下肢に8箇所ずつ傷が残りました。目が覚めた時には腰までギプスで覆われ起き上がることもできなくて、長時間の全身麻酔のせいで気持ち悪くて覚醒した瞬間泣いていた気がします。
後に母に聞いた話ですが、この当時痛みが出るとすぐに泣くようになっていて、度々「どうして私だけ…」と言われるのが辛かったと言っていました。(今の歳になるとこの時の母の気持ちがわかるので、申し訳ない気持ちになります。)
母がそばにいたのは腰のギプスが部分的に外れるまで。(だいたい1週間くらい?だったと思います。)
小学2年生の女の子が手術の影響で半年家から離れるのは今考えても辛かったと思う。本当に。
でももっと辛かったのは地元の小学校に戻ってからでした。
大きな手術を終えて半年ぶりに地元の小学校に戻ると、もうそこには私の居場所はなくて久しぶりに教室に入ると、教室が静まり返りました。
そこから特に話しかけられることもなくその学年は終わりました。
母の言葉
私には今でも忘がたい記憶があります。
それは小学4年の時、毎年の短期入院に嫌気がさして、母親に「1年だけでいいから家にいたい」と言った時のこと。
私の記憶ではこの時「お前は病院に行ってもらわないと困る」と言われたんです。
あぁ、私は迷惑なのかとこの時に理解して、それ以来入院したくないとは言わなくなりました。
この頃から学校でのいじめも加速し始めていたのでまぁ、同じような境遇の子達の中にいれば、あからさまないじめはないよねと自分を納得させていたのです。
高校を卒業した時、両親にこの時のことを思い切って話してみたのですが、、
「そんなことは言ってない、あんたにはリハビリが必要だといった」、「そもそも障害者同士の繋がりを作って欲しかった」と言われました。
どう聞き間違えたらあんな衝撃的な言葉が残るんでしょうか
きっと話し始めに言われた言葉が衝撃すぎて後が入ってこなかったんだと思っています。
毎年最短3ヶ月しか行かない病院でたった1年行かないくらいで人脈が広がるとか、極端に体力が落ちるなんてありえないんだから。
いじめのピーク
高学年になるといじめはピークに達していました。
私の道徳の教科書の保管位置を調べて私のものに触った瞬間手を吹いたり、配布役の生徒は私に配る時「取って」とボックスから出してきませんでした。
極めつけは私との握手をジャンケンに負けた罰ゲームにされたりして。
この歳になると当時私が虐められる要因はかなりあったと思うし、当時も仕方ないことだよと思って相手にしてませんでした。
ただある時のHRで
「実際に見て聞いたいじめを書いてください、どこにも載せません」と言われ、プリントが配られました。
私はこの時、どこにも載らないならいいかと、いじめの主犯格に対抗する気持ちもあり、前述の内容について可能な限り詳細に書きました。
すると1週間後の学級通信にその内容のまま掲載されてしまったのです。載せないと言ったのにどうしてと思わず担任を睨みましたが、名前は伏せられていましたし、私の母は学級通信を読むような人ではなかったので何事ないように家に帰りました。
それから数日後、私が通所リハをしている最中に、付き添っていた母の携帯がなり、その帰りに車で「学級通信のあれ、あんたのことかなって薄々思ってたけど今日家に同級生が来たって」と言われました。
なんで言わなかったのかと母に聞かれましたが、
「言っても意味が無いでしょう」と言うのが精一杯でした。
母はいじめはいじめられる方も悪いと言うような人だったので、私がたとえ助けてと泣きついても味方になってくれるとは思わなかったんです。
翌日登校するとその同級生が直接謝りに来ました。特別支援の先生がいる前で謝りに来て
私は「全然大丈夫だよ、気にしてない」と言うと心底安心した顔でそそくさと友人の輪に戻っていきました。
正直ずるいなと思いました。
謝るくらいなら最初からいじめなんてしなければいいのに。謝ってしまえばいじめたことをなかったことにできると思っているところも、わざわざ教師の前で謝ってきたのも、全部ずるかった。
これで私が許さないと言えば私の方が悪者で心の狭いやつと思われる。知らん顔をされていればいくらでも憎んでいられるのに。
そんな行き場のない思いを抱えていました。
唯一救われたのは特別支援の先生が私の対応に対して深く頷いてくれたこと。言葉に出さなくても「よくやった」と褒めてもらえたような気がしました。
中学生になりそれまでと同じように病院に入院して戻る生活をして、学習進度が追いついて行けなくなったことで2年から病院に併設された養護学校に通年で通うことにしました。
正直地元への未練なんてなかったし将来のことを考えたら学力を補強するのが最優先だったので、この決断は、後悔していません。
今回は以上です
かなり長くなってしまいましたが、今苦しんでいる人の支えになれれば幸いです
いじめは悪です。なかったことにはならないし、できません。
1人で抱え込まずに、吐き出す場所を作ってください。狡猾な悪にどうか負けないで。
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