ドラマ「何かおかしい」花岡さんの人間性について考察・分析(中編)

ネタバレあります。
ドラマ「何かおかしい」主人公の花岡さんの人間性について考察していきます。
前編はこちら↓

前後編でおさまらず、三部作になりました……

前編の内容を3行でおさらい。
・花岡さんの中には作り手(構成作家)としての自分と受け手(リスナー、視聴者)としての自分がいる。
・つまらない現実に倦み、テレビやラジオなど虚構の世界に惹かれるようになった。
・第1話の市長殺害生中継で自身がアクシデントを望んでいることを自覚した。

2話以降の花岡さんの行動と心理を追っていきます。

②第2話「虹色のハンカチ」
過去の考察記事で、この件への花岡さんの関与について書いています。

まとめるとこんな感じです。
・前回のアクシデントに味を占めた花岡さんが、CHAMIさんにハンカチの真実を教えて驚かせようと佐々木さんに持ち掛けた。
・放送中の片桐弁護士の妻子轢殺は、花岡さんの提案を利用した佐々木さんが考えたもの。

考察記事の内容を踏まえて進みます。

この回で、花岡さんは自分にとっての面白さが予想のつかないもの、予想の範疇を超えるものであると(意識的か無意識かは別として)気づきます。

CHAMIさんがスタジオから逃げ去った後、佐々木さんと片桐さんの因縁が判明した時、花岡さんは顔を輝かせています(特別編「何か可笑しい」では「神展開!」という吹き出しがつけられていましたね)。想定外の繋がりを面白がっています。

そして慰霊式典の中継に映り込む佐々木さんを見つけた場面。前回、生放送中に殺人が起きたことにより、もう花岡さんにとって殺人は起きうることという認識になっています。少なくとも傷害くらいは十分考えられる。だから半笑いで片桐弁護士に「あんたの大事なお客さん大丈夫っすか?」などと訊いています。

大丈夫ではないと予想し、また期待していたのでしょう。雨宮議員が無事に献花を済ませると、拍子抜けしたように「何もなかった……」と呟いています。

ポイントはこの後。片桐弁護士の妻子を轢くライブ映像が送られてきたシーン。花岡さんは目を見開いてまさに驚愕という表情を浮かべ、しばし言葉を失います。そして最後に「そうきたか」とだけこぼします。最も感情を揺さぶられた瞬間と呼べるでしょう。

「そうきたか」から、この事態を受け入れている、むしろ歓迎していることが伝わってきます。あの驚きは花岡さんにとって肯定的なものだった。じゃあ、全体をまとめると片桐弁護士の妻子殺害は花岡さんにとってどういうものだったのか? 「面白い」ものだった。

どこがそんなに面白かったのか? 慰霊式典で雨宮議員が佐々木さんに殺されていたとしても、あんなに衝撃は受けないでしょう。多少楽しみはしたでしょうが。雨宮議員に無くて片桐弁護士(の妻子)にあったもの。それは意外性に他なりません。

面白い番組の形容として、「何が起こるかわからない」「次の展開が気になる」「斜め上を行く」などの表現をよく見かけます。どれも先が読めないことを褒めています。想定外は、面白い。広く受け入れられている感覚です。

振り返ればCHAMIさんにハンカチの真相を暴露しようとした件から既に、予想のつかないものを楽しみにする傾向が窺えます。この計画において真相暴露はあくまで手段であり、目的ではない。目的はおぞましい事実を知ったCHAMIさんの反応を見ることだったはずです。

というわけで、この回の殺人ライブ中継への反応から、花岡さんの面白さの重要な判断軸として予測不可能性、あるいは好奇心(知らないものを知りたい)があるとわかります。

追加ですが片桐弁護士への態度から、花岡さんが番組を本当に大切にしていることがわかります。何かあったら放送を止めると打ち合わせで言った片桐弁護士に対して、真っ先に反論しようとしています。また、放送中「番組を止めろ!」と叫ぶ片桐弁護士に、花岡さんは「素人は黙ってろよ」と言い捨てています。腹が立っていたんでしょうね。あと「素人」というワードからスタッフ達と片桐弁護士との間にはっきり線を引いていることがわかります。番組を続けることへのこだわりと、業界人気質が窺えます。


③第3話「その口、塞いでやるよ」
過去の記事で、オカルトスレ時代の事件の真相などを考察しています。

3話目にして初めて殺人が起きない回です。この回とこれまでの内容を踏まえると、次のことがわかります。
・花岡さんには人間の闇を面白がる傾向はあれど、猟奇趣味はない。
・予想外の展開が大好き
・度重なるリアルの事件により、虚実の関係が崩れつつある。

まず上の二つを見ていきます。

今回の復讐は後ろ暗い過去の暴露。これによりひな様は社会的に死ぬことになりますが、これまでの人たちと違い命は残っています。血も流れていません。それなのにマンモスさんが音声を再生したシーンで、花岡さんは凄まじい笑みを浮かべています。

面白さの要件として殺人は必須ではないということでしょう。人の心の暗部を面白がるのはだいぶ悪趣味ですが、猟奇趣味はないことが推察できます。

この件はマンモスさんとスレ仲間、岡田さんが結託して実行したことです(過去記事より)。花岡さんは岡田さんからマンモスさんのサプライズ登場くらいは聞いていたかもしれませんが、復讐計画は知らされていません。これも1、2話同様に想定の範疇を超えた出来事でした。ですが突然現れたマンモスさんと暴行音声に怪訝そうな五十嵐さんや畑野さんと対照的に、花岡さんは終始楽しそうにしています。

最後の項目、虚実の関係の話に移ります。ここがこの回のメインです。

前編記事の第1話のくだりで、現実が虚構を打ち破ったと書きました。第2、3話も番組のシナリオを超えた現実の復讐が起こります。でもこの衝撃的な出来事を、花岡さんはどう捉えているのでしょうか。

現実の出来事を、全て自分に関係あることとして受け取るのは不可能です。自分や自分の大切な人の身に降りかかった不幸と、どこかの会ったこともない誰かの悲劇を同等に扱うことができるでしょうか。どうしても後者は他人事になりがちです。他人事には実感がない。実感のない事柄はたとえ現実であってもどこか身近な現実と隔絶がある。ある意味では虚構性を帯びている。

ここで注目したいのはここまでの3回の復讐劇を、花岡さんが物理的にどう見ていたかです。1話目の市長殺害と2話目の弁護士妻子轢死は、映像を現場から離れたスタジオで観ています。3話目では目の前でコトが起きていますが、花岡さんはスマホ越しに眺めています。どれも生のものを見ていないのです。

市長も片桐弁護士もその妻子もひな様も、花岡さんにとっては他人で、彼らの悲劇は他人事です。それをさらに画面越しに観ている。花岡さんはテレビと同じ感覚でそれらの映像を受け取っている、と考えることができるのではないでしょうか。

かつてテレビやラジオの架空のあるいは台本に書かれた通りの出来事を娯楽として消費したように、現実の出来事をエンターテインメント的に消費している。虚構から現実を覗いているのではなく、虚構からさらなる虚構を眺めている。

そう考えると、作り手としての花岡さんと受け手としての花岡さんの立ち位置も崩れてきます。もともと作り手側と受け手側は鏡のこちらとあちらの関係となっており、作り手は虚構の側にいてフィクションを作り上げ、受け手は現実の側にいてそれを享受します。

では、アクシデントを楽しんでいるのはどちらでしょう? 私は両方だと考えます。構成作家として番組が面白くなるのは喜ばしい。視聴者として思いがけない出来事に触れられるのは面白い。

そうなると、ラジオ局で現実の惨劇を映像として観ている時は、2つの立場の花岡さんが虚構の側にいるということになります。この虚実の関係の変化は5、6話での花岡さんの暴走につながっていきます(詳しくは後編にて)。

④第4話「いろはにほへと」
過去の記事で、夏南ちゃん失踪・再会の真相や空白の期間について考察しています。

初の復讐ではない話です。また、初めて花岡さんが面白さのために状況を引っ掻き回そうとしています。

この回でわかる花岡さんの思考をまとめると、
・予定調和は面白くない
・番組以外の場所で何か起きても面白くない(番組の糧にならない出来事に興味はない)

この回は静香さんの筋書きにオビナマワイドがすっかり利用される形で進みます。注目ポイントは3ヶ所。

1つ目。静香さんの自作自演に気づいた花岡さんが、加工前の映像を元に静香さんを問い詰めようとするシーン。

一般リスナーとしては、感動の再会に立ち会いたいはず。実際に静香さんと夏南ちゃんの再会が放送されると、SNSには「神回」「感動した」などのコメントが溢れました。

ですがこのシーンの花岡さんはその良い流れを乱そうとしています。花岡さん的に面白くないから。なぜ面白くないか? 全て静香さんの計画通りであり、しかもその底が割れているから。

これまでの3話でも番組が復讐に利用されてきましたが、花岡さんはむしろ楽しんでいます。予想外の結末に出会えたからです。ですが今回は先が読めてしまった。だから自演をあばこうと思った。予定調和を崩し、静香さんや関係者のリアクションやその後の混乱を見たかったから。素の反応は、その場が来なければわからない。予想できないものの方が面白い。

ですが、その試みは失敗に終わります。2つ目の注目ポイントは静香さんと夏南ちゃんの再会後、ミキサー室で花岡さんがパンを食べているところです。

生放送中に食事をするのはご法度だろうと、一般人でもわかります。突発的な事態に対応できなくなりますから。だからこの時の花岡さんは、もう自分の仕事は終わったと考えていたのでしょう。峯岸母娘は再会し、静香さんの計画は実を結んだ、もう自分に(番組を面白くするために)できることはない、と。

ちょっと話が脱線します。この直後、夏南ちゃんが車から飛び降りて怪我をします。現場からの報告が入ってもパンを食べていた花岡さんをサイコパスとする感想をちらほら見かけましたが、花岡さんに現場の声は届いていなかったのではないでしょうか。イヤホンもヘッドホンも付けていませんし、「何があったんですか」と五十嵐さんや畑野さんのヘッドホンに耳を近づけています。花岡さんがサイコパスっぽいのは否定しませんが、ここは違うように思ったので。

失礼しました。話を戻します。

3つ目のポイントは、喫煙室で「天使のいた夏2」失敗のニュースを無表情で見ていたシーン。番組を都合良く利用された身としては「ざまあww」と感じてもおかしくないはずなのですが。

きっと、番組内で起きたことではなかったからどうでもよかったのでしょう。花岡さんの最重要事項は番組を面白くすること。だから番組外では何が起ころうが構わない。もしこれが番組内のニュースコーナーで取り上げられていたら、また違った表情を見せたと思います。

この回で、どんなに面白そうなことでも先が読めたり、番組のためにならなかったりすれば、花岡さんにとってはどうでもいいのだとわかりました。とにかく番組を面白くすることに心血を注いでいるのですね。


*花岡さんが煙草を吸う理由
煙草なんて個人の自由ですが、最近は喫煙者への風当たりがどんどん強くなっていますし、年代的に学校での禁煙啓発教育も受けてきたはずです。

それでも吸うのは、吸わないとやっていられないからではないでしょうか。煙草からは快楽や覚醒作用を得られるそうです(非喫煙者なのでわかりませんが)。最早かりそめの刺激を補給しなければならないほど、花岡さんにとって人生は退屈で仕方ないのかもしれません。

長くなりましたのでこの辺で。お読みいただきありがとうございます。

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