分からない
「分からない」と言ってしまうのは、理解することを放棄するのと同じ。もしくは、変容しませんと言っているのと同じだと今更ながらに気づき、腑に落ちた。…痛い。痛すぎる。
私は口癖で「分からない」と言ってしまう。が、とんでもないことをしていた。何かについて分からない。それは知らない。聞いたことないとか。調べたけれどその理由が分からなかったとかそういうのは使っていい。
私が言ってるのは、「分からない」を使う態度。「分からない」と言ってしまえば、もう分からないんだから、仕方ないと諦めてしまう態度。それ以上にはならないぞというのと同じ。
私は、人生のある時からこのワードを使えるだけ使って来たように思う。恥ずかしながら。ここのところは気をつけていたけれど、やはり口癖として出てくる。いとも簡単に、勝手に口が動く感じ。ただリピートしているだけのロボットのよう。
同じようなシーンが来るとリピートする。それも意識してなくてもリピートするように。習慣とは恐ろしいもの。
【言葉を使う。そして態度】
私は「ありのままの自分をだす」とか「表現する」とか思ってそうしていたけれど、そこには言葉を使うだけでなく、言葉を使うときの態度が重要だということに気づいた。
言葉は言霊だから”言葉に気をつけないといけない”と、なんとなくは思っていたけれど、全く気を付けられていなかったように思う。
【態度】
言葉を使うときだけでなくても態度はとても大切だ。人に見られているから…きちんとする。みたいなのも実際にあるけれど、本当はそんなものではない。自分自身を表現するのが態度や言葉ではないだろうか。「姿勢」とも言う。それは、「人間性」を一番感じるところ。こうやって分かっているのに、分かっていなかったのは人間の性なのか。…いや、これまでの私はこれらのことを腑落ちしていなかった。なぜなら、こんなに落ち着いた気持ち…心持ちではなかったからだ。
【人間性】
いい悪いではないけれど、やっぱり良くありたいって思う。
しかし成長の段階により気づいていなかったから、人間性がいいとは言い難い側面がある。気づいていてもだけれど、、、。誰だってそんな面があると言えるのだが。だいぶ捻じれたところを持ち合わせているように思う。私自身のことですが。
【ありのままの自分をだす】
「ありのままの自分になる」と思っていたけれど、未熟な私には、このワードは勘違いワードでしかない。
ありのまま=そのまま
そして「そのまま」は、そのまま(素)の自分で許される…と、妙な勘違いをしていた。またそこは「安心・安全の場」だから。ものすごく酷い勘違い。いつから?最初から?どこから?そんな勘違いをしていたんだろう?
…最初からだな。
あとに、「ありのままの自分」という言葉の意味は、環境を含んだ自分だと分かったけれど、それでも勘違いは続き、「分からない」からの言葉の暴走は続いた。
【言葉の暴走】
今、なぜそんなことが起こっていたのか…と、考える。
安心・安全な場である。だからそういった意味では緊張しなくていい。
しかし「私はバカでドジでのろまで…」あれ、どっかで聞いたセリフ。
スチュワーデス物語。懐かしい…。なに懐かしがってんだ。
そう、話戻して…バカでドジで、することに見合った経験がないー。スピリチュアルの勉強などもほとんどしてない私は、周りの錚々たるメンバーの前で、「なにできるの?大丈夫なんか私?無理やろ無理」の及び腰。だったから、変容したい強い思いがあっても、どきどきバクバクのド緊張しかなかった。とにかくやる!!の、その思いひとつだけ背中に背負って…重えよ。
それは…正に超苦手な勉強で手も挙げていないのに毎回当てられるような感覚の緊張だった。そんなことを言っているけれど、いつも周りのみなさんに助けて頂く手厚いサポート付きがあったので、なんとかやれたのですが…。有難い…。そして申し訳ない。
テキストなんかも何度も読むと分かってくるもので…といいつつ、ほんの少しだけど、以前より分かるようになっている。でもそれをまた纏めてこれこれを話すってなったら…未だにそんな神業(私から言わすと)そこまでできない。
【気づかないって…恐ろしい】
そんな緊張をキープしながら…目の前にあるもの。目の前に来るものだけを必死の形相でこなしていた。締め切りに追われたライターのよう。だから全体なんて全く見られていなかった。見られるはずがないし、気づくはずもない。集中して「ありのままの自分を表わす」、「起こってくることを受け入れるー」とか思っていた。ほんとそれだけだったな。それが私がわたしになる唯一の方法くらいに思っていた。結果的には、いろいろな大きな気づきを今も得られているのだけれど…、、、。私って、やり過ぎ???感満載は、これまでの人生を表わしているようでもある。ドラマののめり込みに関していうと、ほんとそう。
【気づいたから、気をつけよう】
「気づいたから気をつけよう」
言葉の暴走をしないように…。だよ。
けどさ、そう思ってしまったら、別な意味で緊張を伴う。
話せなくなっちゃう…。
しかし思うのだ。
言葉とは元々、よくも考えないで(フラート状態)軽々しく言うもんじゃあないということだと思います。…当ったりめえよ!!と江戸っ子に活入れられそう。けど、ほんとそりゃあ、そうですよね。
【自分の気持ちに気づかない】
自分の気持ちに気づいていない…。というか、分かっていないから、人の気持ちなんて分かるわけがない。
【ならば、、、慎重に言葉を選んで話すべし】
そう、そうだと思うのです。
その時にも一生懸命、本当に一生懸命考えて考えて書いていたから、いい加減なことを言ってるつもりはない。
けれど…ってところで、
「言葉は慎重に考えて話すべし」だと思いました。
…でもできるかな?
それでもやっぱりなんかやっちゃいそうで。
やっちゃうだろう。
だってそんなに簡単にこれまでの自分は変わらないから…でも、変われるよ。続けてさえいれば、変わることができる。
だよね…。
そんなかんじ🍊
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