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宗教や信仰についての雑記 #221

◯人間観

いろいろな面で自分の限界を感じることがよくあります。こう在りたいと思っても、自分の意志ではどうにもならない面があることを感じざるを得ません。
人間はなぜこんなにも不完全にできているのかと、問いたくなります。無論そんな問いの答えは遠い星の彼方のようで、とても掴み取ることのできるものではありません。

現代の科学的な人間観では、人間を生物学的、心理学的、社会的な要素が複雑に絡み合った「複合体」として捉えるそうです。この視点では、人間の行動や意思決定は遺伝的要因や環境要因によって決定されるものと考えられているようです。

一方、多くの宗教では、人間を神や超越的存在によって創造された存在と捉え、人間のうちに宿る精神性、霊性、仏性などを重視する傾向があるようです。この人間観では、人間は自らの意思で善悪を選択し、責任を持って行動することができるとされます。

科学的な人間観と宗教的な人間観の間には、人間の自由意志をめぐる根本的な対立が存在しています。

科学的な「複合体」としての人間観では、自由意志を過度に強調せず、人間の行動を客観的に分析できます。
しかし、自由意志を限定的に捉えることで、個人の行動に対する道徳的責任が問われにくくなることがあるようです。

一方、宗教的な人間観では、人間の精神性や霊性を重視することで、自由意志の存在を強調しています。それに基づく人間の選択と責任を重視することで、人間の尊厳を高めています。
しかしそのことにより、個人が直面する環境的・社会的な制約を軽視し、自己責任を過剰に求めることがあるようです。

自己責任を限定的に捉えすぎると、社会の倫理的な責任感が希薄となります。
自己責任を強調しすぎると、個人の置かれた状況が軽視されすぎて、社会が分断されてしまいます。
どちらも行き過ぎれば、社会の不安定化や治安の悪化を招くことになると思います。

我々は誰もが皆不完全な存在です。不完全であるということは、ゼロか全てか、その二者択一の見方では捉えられないということです。
科学的な人間観と宗教的な人間観との、両者のバランスを取ることで、おそらくより適切な人間理解が得られるのでしょう。
そのことを忘れないようにしたいと思います。

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