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宗教や信仰についての雑記 #212

◯循環する視点

多くの街の路線バスには、その市内や区内などの一定のルートを循環する路線があるようです。
それを見て、宗教的な視点もそんなふうに循環させてみてはどうかな、と思いました。

現在は、世界の様々な宗教の発祥当時から状況が大きく変わり、世界はグローバル化されつつあります。
そのような状況下では宗教的な視点も、それぞれの宗教を循環する必要性が出てきたのではないでしょうか。

私は宗教や信仰については、宗教多元主義の考え方に魅力を感じています。
宗教多元主義では、各言語によって表された宗教は、それぞれの時代や文化に応じて、その向こう側にある真理の一面を表したものであって、それらは排他的なものではなく、相互に補完的なものであるとみなしているようです。
(無論、各宗教はそれぞれの文化に応じたものなので、どれも尊重されなければなりません。)

しかしそれぞれの宗教の信者は、自分の信じる教えが絶対的なものだと信じているので、宗教間の対話を呼びかけるだけでは不十分な気がします。
ですから、バスの乗客が運転手に全て任せるかのように、自分の信仰を一旦脇に置いて、無批判な姿勢で様々な宗教の視点に自分を置いてみる、それを循環的に行なうことが必要だと思うのです。
そうすればそれぞれの宗教や文化を尊重しながら、共通の価値観を見いだせ、寛容さを育むことができ、共生への展望を持てるのではないでしょうか。

数多くの人々がそのようなことを行えば、集団脳とか集合知とかいったことに観られるような効果を得られるのではないかとも思います。
そうであれば、その次は宗教間だけでなく、社会、経済、政治、環境など、様々な視点をも循環してゆくのもいいでしょう。

この循環する視点という考えはまだまだ大雑把なものですので、これからも考え続けてゆきたいと思います。

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