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宗教や信仰についての雑記 #308

◯インチキ宗教

先日テレビで、インドのインチキ宗教家の話を見ました。人々の不安を煽って金品を巻き上げる人たちのことです。そこで今回はインチキ宗教について考えてみようと思います。

所謂インチキ宗教の一般的な手口は、無料の相談やセミナーを開いたり、相手の悩みや不安に共感したりして、人の心に付け入ったり、恐怖や不安あるいは絶望感を煽って、入信を促したりするすることなどだそうです。

その被害の実態は、経済的なものだけではなく、精神的な健康を損なうこと、社会的な繋がりが断ち切られること、さらには身体的な暴行や性的虐待を受けることもあるそうです。

このようなインチキ宗教の発生は、社会の世俗化や人間中心主義による「神の死」と関係しているように思います。

かつて人々の価値観や倫理観、生きる意味の源であった神や仏は、科学の発展や合理主義の浸透に伴い、それまでの座から引きずり降ろされ、人間あるいは人間の理性にとって代わられました。それが所謂「神の死」ということなのでしょう。

しかし、その座を占めるためには、自分の価値観や倫理観について、どんなことがあっても揺らぐことのない絶対的な自信がなければなりません。また、己の内に湧き上がる不安や恐怖や空虚感に常に打ち勝つ強さがなければなりません。
でも現実には、ごく一部の人々を除いて、人間の理性とはそれほどの強さを持っていなかったのではないでしょうか。
実際に、近代社会における宗教の衰退は、コミュニティの崩壊や、道徳観の喪失、死生観の混や、精神的な支えの喪失をもたしたようです。
そのため、多くの人々は新たな価値観や人生の意味を求めて彷徨い始め、その迷いにつけ込むようにして、インチキ宗教が発生したのではないか、そんなふうに思うのです。

上記のようにインチキ宗教は様々な被害をもたらし、社会の不安定要因になりかねません。
様々な分野で新しい技術が登場し、社会が複雑化し、人々の価値観が多様化した近年では、その懸念はより大きくなっているような気がします。
しかし、人の理性は一朝一夕に飛躍的に強くなることはあまり考えられません。

そうであるならば、宗教の「負」の面ばかりを見るのではなく、かつて宗教が社会に対して果たしていたいた「正」の役割を見直してみるべきなのではないでしょうか。

そうして、我々の心の奥底に潜んでいる、不安や迷いや空虚さから、仕事や娯楽で紛らわすことに逃げずに、正面から向き合うこと。この混迷の時代において、そのことも将来の社会のためには必要であるようにも思います。

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