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宗教や信仰についての雑記 #321

◯動物の鳴き声

街に住んでいても、烏や鳩、雀、犬や猫など、いくつかの動物の声が聞こえます。
動物の鳴き声を何らかの象徴とみなす思想や信仰は、古くから様々な地域であったようです。その主な例は以下のとおりです。

・古代ギリシャでは、知恵の女神アテナの使い手としてフクロウが崇められ、その鳴き声は知恵や神秘的なメッセージを伝えるものと信じられていました。
・ケルト神話では、ニワトリの鳴き声は世界の始まりを告げる音とされ、創造の神話と深く結びついていたそうです。
・日本の仏教では、鶯の鳴き声は仏の教えや悟りの象徴とされ、多くの文学作品や絵画に描かれてきました。
・キリスト教では、聖霊が鳩の姿で降りてくるという記述があり、鳩の鳴き声は神の霊感や啓示を象徴することがあるようです。
・北米の先住民の文化では、コヨーテやオオカミの遠吠えは、自然界の精霊との共鳴を表し、儀式や祈りの際に重要な役割を果たしていました。
・多くの文化において、コオロギやカエルの鳴き声は、季節の移り変わりや自然のサイクルを表すものとされ、農耕や生活のリズムと深く結びついていたとのことです。

動物の鳴き声が宗教的な象徴として捉えられる理由には、自然との一体感、未知への畏敬、神々とのコミュニケーションを図るための手段、生命の象徴といったことがあるようです。

また動物の鳴き声には、リラックス効果、孤独感を軽減する効果、不安や抑うつ感を減らす効果などといった、心理的な癒しの効果もあるそうです。

私は時々、動物の鳴き声に生命の循環を感じる時があります。子供の頃に聞いた動物の鳴き声は今聞く鳴き声とは違う個体のものです。おそらく10年前に聞いた鳴き声も、今のものとは違う個体の鳴き声なのでしょう。一羽一羽、一匹一匹の個体は死んでも鳴き声は同じものとして続いてゆく。そのことの中に生命の循環を感じるのです。
それは言い換えれば、「死は全ての終わりではない」ということでもあります。肉体的・物質的な生命は滅んでも、意識や精神や魂のようなものは、何か我々の想像もつかないような形で続くのではないかと、そんなふうに思うときもあります。

そんな感覚は何の根拠もなく、非科学的で非常識なものだと思われるかもしれません。でも常識というものは、ときに覆されるものです。中世のキリスト教的世界観が、ガリレオ・ニュートン・ダーウィンなどによって覆され、ニュートンの物理学がアインシュタインによって覆され、アインシュタインの物理学が量子力学によって覆されたように、我々が今持っている常識も決して固定されたものではありません。
常識に対して批判的・柔軟的な姿勢でいることが心の平安や健康に繋がるのであれば、常識を疑ってみるのも悪くはないでしょう。

そうして私は心身が疲れたとき、動物の鳴き声の中に、何らかの魂の声を探すのです。
我々は動物の鳴き声に耳を澄ますことで、自然のサイクルへと再び戻り、その流れの中に己の居場所を見いだして、心の平穏を得ることができるのでしょう。

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