
宗教や信仰についての雑記 #260
◯請求書兼領収書
病院で会計を済ませたとき受け取った書類に、「請求書兼領収書」と記してあるものがありました。
それを見て以前、「神仏に祈るときは請求書的な祈りではなく、領収書的な祈りをしましょう」という文章を何かの本で読んだことを思い出しました。
これは「ああしてほしい、こうしてほしい」といった祈りではなく、「こうしてくれてありがとうございます」という感謝の祈りをしましょうということのようです。
有名な話ですが、イエスは受難の前夜にゲッセマネで以下のように祈ったと言われています。
「この杯をわたしから取り除いてください。それでも、わたしの意志ではなく、あなたのご意志がなされますように。」
これは、目前に迫った苦難をできることなら取り除いてほしいけれど、それが神の意志であるならば私はそれに従います、という意思表示でもあるのでしょう。
卑近な言い方ですが、これは「請求書兼領収書的な祈り」ではないかと思いました。
人間というものは弱いものです。常に領収書的な祈りをするのは難しく、ついつい請求書的な祈りをしてしまうようです。
神の子であるイエスでさえ「この杯をわたしから取り除いてください」と神に祈ったのですから、凡夫である我々は「言わずもがな」です。
でもたいていの人は、自分に降りかかってくる不運や不遇には敏感に気づいても、自分に与えられた幸運や恩恵にはなかなか気づかないものです。意識的に自分自身をじっくりと顧みなければそのことに気づきません。
領収書的な祈りとは、その気づきのためのものなのかもしれません。
そしてその気づきこそが、神仏が我々に与えてくれる恩恵の最たるもののような気がします。そのような気づきを得られれば感謝の心が芽生え、感謝の心が育まれれば心の平安が訪れます。
そんな気づきさえあれば、「請求書兼領収書的な祈り」でもいいのではないかなと、そんなことを考えました。