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宗教や信仰についての雑記 #109

◯調和について⑥

先日、障害者の方が映画館への来場やネコバスへの乗車を拒否される、というニュースを見ました。
そのことについて、祈りや調和といった観点から考えてみました。

障害者の方の様子を見たり、話を聞いたりして気の毒に思うことは、人として当然のことだと思います。
でもそのような気の毒な思いをそのままで済ましておいては、調和へは近づくことはできないでしょう。

以前の投稿(#25,26)で、遺伝的な病気や障害は、我々が存在することの代償であり、先天的な障害や遺伝的な疾患を持って産まれた人々は、健常者の代わりにその代償を引き受けた方々だと考えることもできると書きました。
また、遺伝的な障害でなくても、人間が社会生活を送るうえでは様々なリスクがあり、障害を負った人々はその現実化したリスクを引き受けた方々だと観ることもできます。

そうであるならば、障害者の方もできるだけ健常者と同じように暮らせるようにすること、実生活においての両者の差を極力少なくするよう努力することが、調和へとつながる道だと思います。

先日のニュースの障害者の方の利用を断った理由というのが、十分な対応をできない、安全を確保できない、といったものだったそうです。
その背景には、やはり現代の社会の自由競争の原理もあるように思えます。
健常者と障害者との調和は、競争原理だけでは実現できないものなのでしょう。
それを乗り越えられるような智慧や勇気を得る努力を、絶えず行なってゆくこと。
今、我々に求められている祈りとは、そのようなものだと思います。

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