
宗教や信仰についての雑記 #315
◯灰色
灰色の曇天を見ると、なんとなく心が沈んでしまうような気がすることがあります。そのような人はおそらく少なくないのではないでしょうか。
これは個人的な感覚ですが、灰色はもしかしたら農耕社会での、日照不足や冷夏、冬の到来などを象徴しているのかもしれません。
あるいは都会の無機質なコンクリートの色などの印象による、孤独感や疎外感の可能性もあると思います。
または、白でもなく黒でもないところから、曖昧で不確実な見通しの立たない不安を象徴しているとも考えられます。
上記のように、灰色という色は一般的に否定的に観られることが多いように思えるのですが、実際はそれだけでもないようです。
灰色は、白と黒という対立する概念の中間に位置します。この中立性は、客観性や中立的な立場を象徴することがあるそうです。
またこの色は、白と黒との間で様々な濃淡を持ちます。そのことが物事の多様性や複雑性を表したり、変化し続ける過程を象徴したりすることもあるようです。
そして、都会の孤独感や疎外感を顕すだけでなく、シンプルさやスタイリッシュさを表すこともあり、さらには、成熟、知恵、落着き、謙虚さと控えめといったことを象徴することもあるそうです。
一方、また別の観点から考えると、農耕社会の観点から言えば、晴天ばかりが続けばいずれ旱魃となってしまいます。灰色の曇天はときに慈雨をもたらしてくれます。
そして、宗教的な観点から言えば、灰色という名前の元となった灰そのものは、罪の悔い改めや死と再生を象徴することがあるそうです。
こうして観てみると、灰色という色は世界や我々の存在そのものを象徴しているようにも思えてきます。
我々はときに不安や恐怖、絶望にとらわれてしまうこともありますが、落ち着いて客観的に物事を観る知恵も持ち合わせています。
灰色は中間的な色であることから、物事の奥行きや多層性を暗示する色でもあるそうです。そのような複雑な世界を生きている我々は、灰色が表すように変化の途上にあり、不安や恐怖がもたらす様々な困難を乗り越えて行けるのではないでしょうか。