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宗教や信仰についての雑記 #325

◯まかせること

レストランなどのメニューに「シェフのおまかせ」みたいなものが載ってあることがたまにあります。そのことを思い出したとき、ふと、まかせるということはどういうことなのか、気になりました。

まかせるということは、他者を信頼し、その能力を認めるということです。これは、人間関係の基盤となる要素であり、社会の構築に不可欠な要素でもありますが、その一方で、自己責任の放棄にもつながることがあります。そのバランスを見極めることが重要となるでしょう。

また、まかせるということは、他者の自由意志を尊重することでもあります。まかされた者はまかせた者の期待に応えるという責任が生じます。
そして、まかせた者は、まかせるということが自由意志による決断であるならば、そのことに対して責任が生じます。
まかせるということは、まかせる者とまかされる者との両者に、そのような緊張感を与えるものでもあります。

しかし人間は有限な存在であり、物事を予期したりコントロールしたりする能力にも限界があります。そんな限界に直面したとき人は、「運を天にまかせる」とか「人事を尽くして天命を待つ」とかいった思いにをもつことがあります。そのとき、「まかせる」ということは宗教的な様相を帯び始めるのではないでしょうか。

ただ現代は、中世や古代と比べて科学技術が発達しているので、神仏にまかせる余地はかなり減っているでしょう。
でも、まかせることの宗教的な意味とは、所謂「魂の救済」ということでしょう。それを現代的に言えば、「自分は何のために生まれてきたのか」という生きる意味や、「何のためにこんなに苦しまなければならないのか」という苦悩の意味といった、意味への問いに答えてくれることなのだと思います。
このような問いは論理的に考えても答えの得られないものだからです。

ですから、現代でもなお、このようなことについては、神仏にまかせる余地は残されているでしょう。そのような問いは科学の範疇外だからです。
そのようなことを神仏にまかせることは、答えのない問いの束縛からの解放されて、心の自由を得ることでもあると思います。
ただその場合も、人にまかせたときと同じように、そのことに責任を持たなければなりません。
自己の責任を放棄して盲従することは避けなければならないでしょう。

社会の中において「まかせる」ということは、他者を信頼することです。それと同じように、神仏に「まかせる」ということは、人生を信頼することでもあります。「人生は自分の敵ではないのだ」ということを、自分自身に知らしめるためのものでもあるのです。

メニューに「シェフのおまかせ」とだけあって、詳しいことは何も書かれていなくても、そのシェフを本当に信頼していれば、不安な気持ちにはなりません。期待と違う料理が出てきても怒りの感情は湧きにくいでしょう。
それと同じように、何が起きるかわからない人生でも、本当に信頼していれば、不安や怒りにとらわれずに、心の平安を保って生きてゆける、そんなふうにも思うのです。

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