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宗教や信仰についての雑記 #200

◯債権者

企業が経営破綻して債権者への説明会を開いた、というニュースをしばしば耳にします。
その際の債権者にはその会社の社員や取引企業、税務署などがいるそうですが、私は主に銀行を思い浮かべてしまいます。

以前、イスラム銀行の話を聞いたことがあります。イスラム教では利子を禁じているため、イスラム銀行は企業に融資ではなく投資をして、その配当金を預金者に分配する形をとるそうです。
預金というよりも、投資信託に近い形態のように思います。

投資信託と言うと元本保証ではないので、銀行預金よりもリスクが高いと思いますが、銀行も融資先企業の倒産などで貸し倒れが増えれば、その経営も怪しくなります。そういった意味では銀行預金も100%安全というわけではないのでしょう。
そう考えると、融資や投資を受けた企業の経営者も、預金を元に融資や投資を行う銀行も、預託された資産の運用に重い責任があるということなのでしょう。

それは、我々の命にも言えることのような気がします。
我々が持って生まれたこの命は、自分の所有物ではなく、何か大いなるものに預託されたものであり、我々はその運用に大きな責任を負っているようにも思えます。
人にはそれぞれ能力や性格に個人差があります。ですから命の運用がどんな形で行われるか、どこまで上手くできるかは人それぞれでしょう。
それでも、できるだけ良く運用するよう努力する義務はあると思います。
ときにはその責任の重さに疲れてしまうときもあるでしょう。そんなときはゆっくり休んでいいとも思います。あまり無理をすれば心が潰れてしまいます。各々が無理せず自分ペースで、それでいて怠けることなく、歩んでゆけばいい。それが目に見えぬ大いなる債権者への責務でもある。
企業や銀行のことから、そんなことを考えました。

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