宗教や信仰についての雑記 #196
◯無謬性の神話
前回、権威主義や所謂「無謬性の神話」への警戒が必要となると書きました。
「無謬性の神話」とは、ある特定の分野や領域において、ある人物や団体、システムなどが絶対的な正しさや完全な正確性を持っているかのように誤解されることを指すそうです。
そしてこのような神話は、ある人物や組織を盲目的に信頼し、その意見や行動を疑わずに受け入れることで、本来必要な批判や検証が怠られる可能性があります。そのため、無謬性の神話に陥ることは、偏見や誤解を生み出し、問題解決や良い意思決定を阻害する一因となることがあるとのことです。
何が正しいかわからない、その不安に耐えきれず、ある特定の教義や人物にすがってしまう。
でも心の底では「もしかしたらこれも違うかもしれない」という疑念がくすぶっている。でもそれを認めてしまうとまた、不安に苛まれる不安定な状態に戻ってしまう。その恐怖から逃れるためにますますその教義や人物にのめり込んで、より盲信してしまう。
カルトの信者にはそのような面もあるそうです。
私は迷いや不安は常にあるのですが、カルトに入信した経験はありません。ですから安易なことは言えないのですが、そのようなことを防ぐにはまず、批判的な思考を忘れないように、また、失わないようにすることが必要なのでしょう。
そのためには己の内に、「悪魔の代弁者」を常駐させるのがいいのかもしれません。
ここ数回の投稿は、以前の投稿(#190)で書いた「悪魔の代弁者」がきっかけだったのですが、また元に戻ってしまいました。
でも、この円環を通して思考が幾分整理されたような気がします。
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