宗教や信仰についての雑記 #284
◯メインライン
アメリカのキリスト教に「メインライン・プロテスタント」と呼ばれるものがあると聞いたことがあります。
これは、アメリカ合衆国のプロテスタントのうち穏健主義者と自由主義神学の混合の教派だそうです。
その特徴は中庸であるとのことです。この教派は新しい思想と社会の変化を受け入れる傾向があり、同性愛者、両性愛者、性転換者に対して、ローマ・カトリックや保守的なプロテスタントほど教理的ではないと言われています。
そしてこの教派が採っている自由主義神学とは、歴史的(伝統的)・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈するものだそうです。
その特徴は、科学的な見方(進化論等)を許容したり、古文書学や考古学などの成果を活用したり、聖書の非神話化を支持したり、人工妊娠中絶擁護の立場をとったりと、現代の社会に適合的なもののようです。
一方、この立場に批判的な意見もあり、自由主義神学は聖書的と言うより理性的で、人間主義的である、としています。この場合の「理性」とは限界のある理性のことで、「人間主義的」とはその限界に無自覚なことを指しているようです。
宗教が時代の変化に対応することは決して否定されるべきではないでしょう。しかしそれと同時に、人間の理性に限界があることへの自覚も忘れてはならないとも思います。
現在世界の様々なところで、抑圧や差別や、戦争が行われています。それらは人間の理性の限界の現れだと思います。
イエスの時代のユダヤ教のように、伝統的な教理への固執は弱者への抑圧を生む恐れがあります。でもそれと同時に、極端な「自己責任」や、偏向した「正義」のように、理性の限界への無自覚もまた、弱者への抑圧を生む恐れがあります。
我々は常にそのバランスに留意して、自他共に、気づかぬ内に逸脱していまうことへの警戒を怠らないようにしなければならないのでしょう。
それこそが、我々が採るべき「メインライン」なのだと思います。