宗教や信仰についての雑記 #261
◯認知戦
先日あるテレビ番組で、「認知戦」という言葉を知りました。
認知戦とは、情報や心理的手法を用いて相手の認知や判断に影響を与え、意図した行動を引き出す戦略のことです。
認知戦の目的は、敵や対立者の意思決定を混乱させたり、誤った情報を流布することで相手の行動を制約したりすることです。
現在、ソーシャルメディアやAI技術の発達により、認知戦はより激しさを増しているようです。
この認知戦の背景には、人々の間のイデオロギーの違いがあるようです。
イデオロギーとは、「社会のあり方などに対する考え方」や「人の行動を左右する考え方や信条」といったことで、社会や政治に関する根本的な価値観や信念を体系化した思想を指します。
認知戦では、虚偽の情報や偏った情報を意図的に拡散することで、人々の認識を歪曲させ、特定のイデオロギーを有利に展開させようとします。
また認知戦は、異なるイデオロギーを持つ人々間の対立を煽り、社会を分断させます。これは、特定のイデオロギーをより魅力的に見せかけるための戦略の一つです。
この認知戦への対抗策には、情報源の多様化やファクトチェック、メディアリテラシーの向上や批判的思考などがありますが、宗教や信仰はこれに対してどのように関わるのでしょうか。
認知戦の対象となるイデオロギーに宗教的な理念や価値観などが含まれていたとしたら、宗教的な倫理観や正義感、あるいはその排他性や独善性などか利用され、宗教や信仰は認知戦の増幅器と化してしまうでしょう。
一方、宗教的な世界観を持つことにより、世俗の出来事や価値観から一歩距離を置いて物事を観ることができれば、宗教や信仰は認知戦への一定の防波堤と成り得るかもしれません。
現代の認知戦の激化は、宗教や信仰への試金石でもあるような気がします。