宗教や信仰についての雑記 #239
◯つまらない事
私は日常の些末な雑事に対して、「つまらない」とか「くだらない」とか思ってしまうことが多く、なかなかその癖が治りません。
そんなときふと、先日の投稿(#228)で、オートポイエーシスと宗教多元主義について書いたことを思い出しました。
そこで、以下のようなことを書きました。
「様々な信仰や宗教は、それぞれが独自の自己組織化システムでありながら、同時に、より大きな超越者の存在という共通の基盤の上に成り立っているとも言えるのではないでしょうか。」
「つまり超越者という存在は、多様な解釈や表現が可能であり、その結果として、多様な宗教が生まれ、それぞれが独自の自己組織化システムを構築してきたとも考えられます。」
日常で出会う様々な、些細な事柄もまた、上記のようなものなのかもしれません。
どんな小さな事も、無限で多層的なオートポイエーシス・システムである超越者の一部であり、全てはそのシステムと繋がっているだと思います。
でもときに、ある特定の宗教の信者が、自分の信仰しているものを絶対視してしまうのと同じように、我々は些細な事柄の向こう側に広がる繋がりの網が見えずに、それらを「つまらない」とか「くだらない」とか思ってしまうのではないでしょうか。
些末な事をそのように思うことと、宗教の原理主義とは、その程度や方向性は異なるものの、根は一緒のように思えます。つまり、言葉によって切り取られたものに囚われて、その向こう側の広がりが見えなくなっているということです。
その繋がりの広がりはなかなか目に見えません。そのことを観取するのはとても難しいでしょう。
でも、日々を前向きに生きるために、それを観るための眼を養いたいものです。