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宗教や信仰についての雑記 #98

◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで③

この本では、人々に降りかかる不幸は様々な要因が重なって起きたことで、神がもたらしたものではないとしています。
ならばその不幸や苦悩には何の意味もないのか、という問に対して著者は、それらの不幸な出来事はその発生時には意味はないが、我々がそれに意味をもたせればいい、と答えています。

でも私個人の感覚では、人は意味の見いだせない苦悩には耐えられないと思います。
自らの力で意味を作り出すことにも多大な困難を伴うような気がします。

それに対して著者は、神は不幸をもたらすことも防ぐこともないが、人々に働きかけ、人々の心を奮い立たせて、人を救うのだと主張しています。

人生での困難に意味があると信じること。
人生での困難には意味はないが、それに意味をもたせるための力を得られると信じること。

この2つの考え方の内、前者のほうは、はじめから苦難の意味が付与されている分、比較的信じやすいような気がします。
しかしその一方で、心が壊れてしまいそうなほどひどい苦難に見舞われたときには、力とならないようにも思えます。

後者は、自らの手で意味を作り出して付与しなければならない分、より難しいように感じます。
しかし、前者で対応できないほどのひどい苦難のときにも支えとなるようにも思えます。

現代のヒューマニズムを基盤とした社会においては、おそらく後者の考え方のほうが受け入れられやすいでしょう。
でもそのためには、自らの心を奮い立たせるための祈り(たとえ無意識なものであっても)が重要になると思います。

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