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宗教や信仰についての雑記 #312
◯超越者へのアクセス
インターネットを見ているとときどき、「アクセスできません」という表示が出てきます。これには様々な原因があるようなのですが、そんなときふと、超越者へのアクセスの方法にはどんなものがあるか、という疑問が頭に浮かんで、すこし調べてました。
すると主に4つのアクセス方法が出てきました。
まず一つめは宗教的な実践で、それには祈り、瞑想、儀式があります。
次に二つめは哲学的な探求で、それには自己内観、論理的な思考、理性を超えた直感があります。
そして三つめは神秘主義的な体験で、それには幻覚体験、直観的な閃き、自然との一体感があります。
最後に四つめは科学的なアプローチで、量子力学、宇宙論、脳科学があります。
ただ、超越者へのアクセスを論じる前に、まず「超越者」とは何かを明確にする必要があるようです、その定義は多岐にわたりますが、主なものは、神、宇宙意識、高次の自己の三つだそうす。
その超越者の定義の違いにより、アクセス方法も変わったてくるのでしょう。
ただ、その定義に合ったアクセス方法を選んだとしても、誰もが等しく超越者にアクセスできるとは限りません。たとえアクセスできたとしても、求めるものが常に得られるとも限りません。
超越者はインターネットのような便利なツールではないのでしょう。
これについて対比的に言えば、インターネットは「情報」を伝達するもの、超越者は人を「意味」へと導くものなのだと思います。そしてこの「情報」とは客観的な事実のことであり、「意味」とは主観的な解釈のことです。
現在世界に満ちている、答えのない不条理や理不尽さ、あるいは虚しさを入口として、超越者は我々を何処かへ導こうとしているような気がします。
言い方を変えれば、インターネットは質問の答えを与えてくれるものですが、超越者は答えのない問いを投げかけてくるものなのではないでしょうか。
無論これは、数多ある超越者の捉え方の一つに過ぎません。でも人生とは、苦悩の理由を問いただしても「アクセスできません」という表示が幾度となく出てくるものです。
もしかしたらその「アクセスできません」という表示が出ることそのものが、超越者へのアクセスコードなのかもしれません。超越者はその表示を出すことにより我々により深い思索を促し、人生の「意味」を見出させようとしている。そんな考え方もできると思います。
少なくともそう考えることが、生きてゆくうえでの苦悩を、多少なりとも和らげることにつながるような気がするのです。