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宗教や信仰についての雑記 #73

◯デクノボー

先日久しぶりに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読む機会がありました。
この詩の中に、
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ」
とありますが、これは法華経に書かれている「常不軽菩薩」がモデルになっているそうです。

このところを読んで、これは遠藤周作の「イエスの生涯」に描かれているイエス像によく似ていると思いました。
そこで描かれているイエスは、奇跡を行なえず、病気も治せず、地上のメシアにがってほしいという民衆の期待にも応えられません。
そのような何もできないイエスが書かれた本が、人々の間で広く長く読まれています。

宮沢賢治の「デクノボー」や遠藤周作の「無力なイエス」が、多くの人々に好まれ受け入れられているのはどういうことなのでしょう。

おそらくそれは、力弱くとも人々を救いたい助けたいという思いが悲しみとともに全身から溢れ出てくるような人を人々が求めているからだと思います。
我々の様々な苦悩に共感し、いつもそばにいて共に歩いてくれる人、そんな人の存在に希望を見出すからのような気がします。

またそこには、大きな力を持ち、その力を誇示する者への警戒感があるのかもしれません。
大きな力を持つ者はその力故に遠くを見すぎて近くを観ない、灯台下暗しという諺の如く、足元の苦しみに気が付かず、人々に寄り添うことがない、そんな思いが根底にあるような気がします。

世俗にまみれて弱き人々に寄り添う者、その中にこそ聖なるものが宿るのかもしれません。

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