宗教や信仰についての雑記 #156
◯キャップ
先日、あるテレビ番組で、フィンランドの高校では卒業生に帽子(キャップ)が贈られる風習があるということを見ました。
スポーツチームや学校などのロゴや紋章が入ったキャップは、そこへの所属やアイデンティティを示すシンボルとして機能するそうです。
また、キャップには「完結」を象徴する意味もあるそうです。
ある出来事やプロジェクトが「完結」を迎えたことを表現する際にも、「キャップをつける」という言い回しが使われることがあるようです。
おそらくこの風習にも、高校を卒業した(難関である高校卒業資格試験に合格した)ことのシンボルとしての意味があるのでしょう。
一方、キャップには「保護」という意味があると同時に、「抑制」「制約」「上限」「限界」といった意味もあります。
我々は皆誰もが、様々な制度や機構によって保護されアイデンティティを与えられています。
自分自身の「キャップ」を被ることで、自分が何者であるかを表現することができます。それは、職業、宗教、趣味など、様々なアイデンティティの象徴となる可能性があります。
でもそのことは、様々な制約や限界をも意味します。
我々は自分自身や大切なものを守るために、様々な「キャップ」を被っています。しかし同時に、固定観念や思い込みといった「キャップ」によって、本来の可能性を制限してしまうこともあります。
そして、誰もが人生に「時間」というキャップを被せられています。いつか必ず訪れる「死」という限界と完結が存在する中で、我々はどのように生きるかを問われています。
我々にとって真の自由とは、状況や必要に応じて「キャップ」を被ったり脱いだりすることができる柔軟性を獲得することなのかもしれません。
与えられた「キャップ」に安住することなく、常に自分自身を見つめ直し、より真実に近いアイデンティティを探求していくことが重要でなのでしょう。