宗教や信仰についての雑記 #164
◯譲歩ということ
仕事などの話し合いで、相手に譲歩するということがしばしばあります。
世に生きている人は誰でも、誰かに譲歩をしたことがあると思います。
社会生活を円滑に送るためには、何らかの譲歩することはおそらく避けられないのでしょう。
「譲歩」ということを宗教的な観点から観ると、それには慈悲や寛容さ、我執を手放すことや神の意志に従うこと、平和や調和などといった含意があるようです。
ですから譲歩することとは弱さの表れではなく、己の執着や欲望に打ち克つ強さの表れなのだという考え方があるそうです。
でも見方を変えればそれは理想論であって、現実の社会では、立場の弱い者が強い者から譲歩を迫れたり強要されたりすることが多いと思います。
そういう意味ではやはり、譲歩することとは弱さの表れのように思えます。
そのような状況をなくすように努力すべきであることは言うまでもありませんが、この先も、そしてどんな社会でも、それが完全になくなることはおそらくないでしょう。なぜなら完璧な人間はどこにもおらず、誰もが限界を持っているからです。
立場の弱いものがそのような状況に耐えるためには、神仏のような大いなる存在がいつもそのことを見てくれている、という感覚が必要なのかもしれません。