『ヤバい。かっこよすぎる俺✨』の言葉から思ったコト🍀*゜
見に来てくださってありがとうございます 💗
こんにちは〜😊✳️
これまた ちょっと前のお話なんだけど𖤣𖥧𖥣。𖥧𖧧
私、基本そんなスポーツには興味ナイ系なんだけどもね🙄🍄
この夏はパリ🇫🇷オリンピック🏅があったり
などして
たまには観たりすることもあって
その中で 感じたことのひとつをシェアさせてください😊
パラリンピックの男子テニスで
18歳の小田凱人選手
みごと優勝🏆して金メダル取っておられましたね〜🥇✨✨
試合後のインタビューでの言葉
『ヤバい。かっこよすぎる俺✨』
この言葉を聞いたときの
私のココロの第一声。。。。
(確かに!スゴいこと成し遂げたけども)
『調子ノッてるな 発言じゃない?🤫』って
ふわっとそんなことを思ったんだよね😂
そんな自分の声に
渾沌とした意識の思考を採用してる自分が
まだまだいるんだなぁ·····って
そぅも思ったの。
『自画自賛するのはイタイw』
とか
『遜る(へりくだる)こそ美徳』
とか。
謙遜の言動こそが
人としての成長の証のように思ってきたよなぁ🙄ってね。
特に多感な時期に
そぅいった価値観が周りに溢れてて
自分もそれを採用してないと(それが出来ないと)恥ずかしい人になっちゃうよ😱って
少し強迫的に 採用したかな·····って
記憶を辿るとね。そんな気がするんだけど🍀*゜
私自身は ちょっとADHD的気質があるので
この辺りが そもそも苦手で
そこに対しての劣等感みたいなものも
複雑に絡み合ってもいるかなー😂😂😂
謙遜される方の在り様も
より素敵だなぁ✨と感じる部分でもあるけど
この言葉に込められた
我が魂への賛美✨️ 𓂃◌𓈒 💫
こぅやって堂々と言えるって
他人にどぅ思われるか より
自分への愛、どんな想いを自分に向けるのか
(自分軸)を大切にしてるんだなって思ったんだよね〜 💫
インタビューでの言葉
『今日、勝ったことで確定したことがある! 俺はこのために生まれてきた。
優勝するために、金メダルを取るために
生まれてきました』 ····· ー
聞くところによると
9歳の頃に病気(骨肉腫かな)で片脚の自由を失って車椅子生活になったんだそぅだけど
それまで大好きでやっていたサッカー⚽は
難しくても
当時、車椅子テニス🎾で活躍されてる
選手をテレビで観て
『自分もこんなふぅにカッコよくテニスやれるよぅになりたいっ😳✨✨』ってね。
きっと純粋なココロに
魂の声が響いたんだろうなぁ〜✨️ 𓂃◌𓈒 💫
フツーならさ。
大病して脚が不自由になりました。
車椅子生活です。一生です。って言われたら
そんな自分の運命を
悲しみ、呪い、落ち込んで
自分の人生に絶望したりすることが多いかも知れない。
(小田凱人氏にも そんな時もあったかもだけどね🐦✳️)
それを理由に
『だから自分にはあれも これも出来ないんだ』って 拗ねたり閉ざしたりすることも
あるかもだけど·····。
(いや。私なんてモンは 何〜にも無くても
しょっちゅう” やれない理由 ” ” やれない言い訳 ” しまくって気の乗らないコトを先回しにしちゃうよ〜😂😂😂)
失ったものや その哀しみに心を執われず
ご自身の命、魂を
真摯に愛する心を原動力にされてきたんだなぁ·····と思ったんです。
そして、例えば 私自身に置き換えてみたとき
それは
もちろん 彼のように何かの世界一🌏✨に
なることで 魂を輝かせる在り方も本当に素晴らしいけど·····
そして、あんなに世界一✨とかじゃなくても
自分のやりたいと思った事を
ちゃんとカタチにして叶えてあげることに
向き合う姿勢だとかにしていくことも一つ
大切な事と思う一方で
世間の評価を得られる『何者か』になれたから、結果を残せたから じゃなくてもいぃんだとも思ってて✳️
(まだまだ そーいう価値観で自己評価し勝ちだけどね🦔🍀)
自分を·····自分の人生、自分の魂を愛する
という部分において
等価値でありたいな💗って思ったりもしてるの。
今日も
自分への賛美のハードルを限界まで下げて
自分や身の周りの『ある🌱⋆。』を発見し
『すごいね💗』『良かったね💗』って
褒め、認め、感謝する練習を重ねて
何なら
もっとささやかな事に調子ノッて
自分を誇っていよう🐰💓笑
この世は自分の心の在りようの鏡だからね
今回の小田凱人クンの
『ヤバい。かっこよすぎる俺✨』
って言葉に1㍉の澱みもなく
『ホントにそぅだねっ✨✨✨』って
魂の賞賛を送れるココロを身に付けたいと
思った。
そんなお話でした( *´꒳`*)🍒´-
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