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イラストと鬼と加山又造、そしてレース

学生時代。
広大な学校の敷地のはずれにプールがあって
そのそばにオンボロな二階建てのプレハブがありました。

そこでは吹奏楽部、自動車部、美術部、鉄道研究会が
活動していました。ほかの部もあったかも知れませんが
主に活動しているのはこの四つでした。

私はラグビー部のほかに美術部に入っていて
ラグビー部での基礎練習が終わると
プレハブに行っていました。
絵はほとんどアパートで描いていて
部室ではもっぱら煙草を吸ってお喋りしていました。

3年生のとき、夏休みに描いて
学祭で展示した「点描の女の顔」が注目されて
版画コレクターの間山教授に
売ってくれるように頼まれました。
画商のところに連れていかれ
絵を額装してもらいました。
いくらで売るか聞かれ困りました。
額装にいくらかかるのか聞いたら
6万円ということだったので
では6万円で、とお願いして
私はお金を受け取りませんでした。
それでいいのか?と言われたけど
画商にきちんと額装してもらった絵は素敵で
先生が気に入って大切にしてくれるなら
それでいいと思いました。
間山教授はキリコやエッシャーが好きで
幻想的な画集をいろいろ貸してくれました。
たまに間山教授を訪ねて
絵画のはなしを楽しみました。


鬼と呼ばれていた体育教官の板沢先生が
やはりその絵を気に入ってくれたようで
廊下で捕まって褒められました。

ある時、美術部でみんなでお喋りしていると
板沢先生がプレハブ小屋に向かってくるのが見えました。
みんなで真っ青になって煙草や灰皿を隠しました。
もしかしたらプールに用があるのかもだけど
うっかりこっちにきたら相当マズイ。
煙草なんか見つかったら即停学だし!

プレハブの階段を
ガゴーンガゴーンと登ってくる足音。
お、お、鬼が来る!
全員直立不動!

よう、と言いながら入ってくる先生。

部活の邪魔して悪いな

時代劇の刺客みたいな雰囲気の板沢先生が
苦み走った笑顔を浮かべてる..…

俺、絵が好きでな
前からここに来てみたかったんだ
おう、お前ら、気にすんな
ここにいる俺は教官じゃねぇ!

っつったって~~鬼、だよ、鬼!
生活指導の鬼!

古びたベンチにどっかり座る鬼。

おう、お前、ここに座れよ
お前のイラストいいなぁ
そうか間山教授の研究室にあるのか、そうか
あれ、ナニで描いてるんだ?
ロットリング?ほ~、すげぇの使ってんだな

おう、吉川、お前はこっちに座れ

先輩の胸をバシッと叩く鬼..…

おう、持ってんじゃねぇか煙草、一本くれヨ
吉川先輩半泣き

い~から、お前らも吸えよ
気にすんな
俺が邪魔しに来たんだから

不味いインスタントコーヒーを入れ
先生にお勧めして
皆のスケッチブックを先生に見せたりして
先生だけはとても楽しそうでした。

後でお前が呼び込んだんだぞ!と
吉川先輩に詰められちゃったよ。
でも、笑っていい話だよね?
いや.…笑う気にはなれなかった、怖かった。


それからしばらくして
クラスメイトが「板沢がお前を呼んでるぞ」と..…
放課後体育教官室に来いということらしい。

おめぇ、何やったんだ?やばいぞ
ひえ~~~~~
なんもしてない、なんもしてないよ~~~

でも、頭の中はあれやこれやの非行の数々が渦巻く~
私たち学生の間で「体育教官室に呼ばれる」というのは
大変に恐ろしいことなのでありました。

ビビりながら、行きましたよ。
体育教官室...…

教官室には3人の体育教官が揃っていて
なんだかニヤニヤしてるんだわ..…こ、こわい。吐きそう。

いつもより更に苦み走った鬼。
顎で「体育教官準備室」を指してそっちに行けと。
体育館と準備室と教官室はつながっていて
準備室は教官用のロッカーと
スポーツ用具がゴタゴタ突っ込んでありました。
足の踏み場もないような乱雑ぶり。
ご、拷問部屋ですかここは....?

板沢先生は
俺は絵が好きで、小遣いで画集を買うんだが
家に持ち帰ることができねぇんだよ....と
呟くように言いました。

それから先生はロッカーから
何やら引っ張り出し始めました。

先生がが出してきたのは
加山又造の画集、素描集など数冊でした。
片手では持てないような大著ばかりでした。

足で床のあれこれを押して
少しスペースを作ってくれた教官。
そこに本を置いて
それから
学生から召し上げたらしい開封済みの煙草を
ドサドサ床に撒いて、灰皿を出し
これはお前が拾っていけと言いました。
ポトンと100円ライターも落としました。

加山又造知ってるか?

言葉もなく頷くのが精一杯。

好きなだけ見ていけ
お前ならきっと気に入ると思ってな
また見たくなったらいつでも来い
この部屋にはお前が帰るまで誰も入らない
いいな

そう言って板沢先生は教官室に移りました。

はひ~~~

それから、私はゆっくりゆっくり
加山又造の世界に浸りました。
泣きながら見ていました。
嗚咽で煙草なんか吸っていられませんでした。

繊細で美しくて
ゆらゆらと女が立ち上がって
ゆっくり踊るようでした

小夜子さまの連作だったと思う..…
身にまとったレースに瞠目しました。
これを人の手が描くのか?
もしや貼り付けたレースではと
覗き込んだりして..…
そして、自分の、自分だけの
レースのショールが欲しいと切実に思いました。

その日、どうやって帰ったのか覚えていません。
それほどに刺激的でした。

その点描の絵については
イラスト好きの後輩たちからも
ときどきあれこれ聞かれました。

もっと描かないんですか?と聞かれたけど
誰にも言わなかったけど
あの絵を描いた翌日
右目の視界が真っ白で失明の危機を感じました。
右目に大怪我をしたことがあるので
無理はできないと思っていました。


進路の間違いを指摘され続けた私だったけど
あの場所で劣等生をやりながら
とても深くて豊かな学びを得たのだと
今は思っています。




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