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私の出身国では時折無差別殺人事件が発生していて、その舞台が学校であることも -「ゲームは人を攻撃的にする」と言われ始めた時代-

タイで痛ましい事件があったので思い出したことを書きたいと思います。
被害に遭われた方にお悔やみ、お見舞い申し上げます。


ついに地元(帰国後)で襲撃事件が発生

時は遡って2017年、何が起こったかというと中距離電車内で男が斧を振り回し、多数の怪我人が出た。犯人は車外に押し出されホームで暴れた後、線路上を逃走、橋から飛び降り重症を負った。犯人は犯行を命令する声を聞いたと供述しているという。

まさか私の地元でもこんなことが起こるなんて思いもしなかった。私が普段利用していた路線ではないので巻き込まれることはおそらくなかっただろうが、自分の住んでいた場所の近くまでそんな危機が迫っていたことに驚いた。

学校における銃乱射事件

私の地元は日本同様銃が規制されている国だが、平穏なイメージに反して銃に関する事件が学校が舞台であることがそれなりにある。犯行後の犯人は自殺することが多く、意外なことに女子もいる。センセーショナルな報道により「憧れ」を持って犯行に至るケースもあると聞く。武器もなかなか強烈なこともあって、アンスバッハの事件では火炎瓶、エムスデッテンの事件では爆弾や発煙弾が使われたのが印象に残っている。

「銃乱射事件」と聞くとアメリカのマシンガンを使った"乱射事件"をイメージする方が多いと思う。しかし私の地元は違う。武器を持っている人はライセンスを所持していることが一般的で、確実に標的を狙える能力を持った人たちがライフルなどで撃ってくるのだ。

エアフルトの大量殺人

2002年、最もセンセーショナルに報道された事件は間違いなく、当時戦後最多の死者数を出したエアフルトのギムナジウムで起こったスクールシューティングだろう。

事件があったのは試験日で、主な狙いは教員だったが、避難の為校庭に出ていた教員や、通報を受けて駆けつけた警察官も犠牲になった。

犯行開始から20分後、「俺を打て」と言った教員に対して「今日はもういい」と応答したが、「話をしよう」と提案され教室へ誘導され、閉じ込められたところで犯人は自殺した。

犯人は不登校で、学校をサボるため文書を偽造したとして退学になっていた。現地校は病欠である証として医者の診断書を提出しなければならないが、それを偽造していたのだ。彼は18歳で成人していたため学校は親に不登校であったことを通知で来なかったが、後にこの「生徒が成人の場合保護者に通知ができない」というルールには法的拘束力がなかったことが判明する。

何より当時のエアフルトでは10年生に行われる中間試験がなかったため、中退したり、卒業試験に失敗すると無学歴になるというかなり厳しい法律であった。将来に絶望し、教育システムを恨み、犯行に至ったのち自殺を選んだのも無理はないと、私は思っている。

その後の影響

詳しくは後述するが、この時代、こういった事件は「残虐なテレビゲームのやりすぎである」という風潮が非常に強かった。

映画は未成年に対する規制がより具体的に制定され、公共のメディアでは戦争賛美の禁止や、実際の死傷者を侮辱的に描くことの禁止などが求められた。テレビゲームは検閲の上、年齢制限を明確に記載することが定められた。

武器の所有に関する法律改定も実施され、射撃競技開始可能年齢が引き上げられ、25歳までの精神鑑定が義務付けられた。また特定の様式の武器の禁止や武器の保管義務の厳格化もなされた。

地方によっては10年生での能力試験が義務化され、中退しても学歴を得られるようになった。

地方警察の法律も改定され、 無差別殺人への対処に関する教育は昔は特殊部隊のみ
が受けていたが、全ての警察官に義務化された。

所感

2000年代は「FPSを含む暴力的なゲームがこういった犯行を生む」という言説が世間を支配しており、学校でエアフルトの事件についてディスカッションを行った時も教師からの同調圧力はすごかった。

向こうの人は新しいものがとにかく大嫌いだ。日本の状況とは大きく異なり、「コンピューターゲーム」は90年代中ばまで一般的ではなかったので、かなり新しいものに分類された。

私自身は当時から関連性についてはかなり疑問に思っていたが、根拠もなかった。そして犯人の背景が明らかになったのはしばらく少し後なので、ゲームのせいになったことも止むを得ないかもしれない。

私の肌感では向こうでは日本以上に"loser"が人生をやり直すことは難しいし、その手助けを得られることも稀である。そんな人たちの趣味が一人でできるゲームになりがちなのではないかと思っている。

少し話が飛ぶが、実はこの時期はちょうどAbistreich(Senior prank)というイベントがあった。卒業生たちが学校を占拠し教員にいたずらしたりする日である。英語クラブの先生はエアフルトの事件に寄せて「教師への尊敬を損なうため、Abistreichには参加すべきでなかった」と話した。しかし私は因果関係が逆ではないか、と今もモヤっている。そもそも尊敬されていれば過激ないたずらには至らないのではないかと思っているのだ。そもそも尊敬されている人にするからいたずらが成立するのではないのか。

よく日本では「海外の学校ではディスカッションが行われている」、そしてそのディスカッションが有意義なものであるかのように語られるが、その実態は所詮先生というクラスの長のお気持ち表明大会で、生徒はその空気に流されて洗脳されていくだけなのである。自分たちの意見を育むなんてとんでもない。結局のところ、狭い教室の中で一番強いヤツの意見が空間を支配するだけなのだ。

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