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【妄想】みんなだったらどんな「表現の不自由展」にしたかった?

前回はオリンピックの開会式について妄想してみた。
ふと思い返すとあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」がネットで賛否両論を受けていたとき、「私ならどんな表現をするかな」と思考を巡らせたことを思い出したので適当に書いていきたいと思う。


写真を燃やして

私は人の写真を燃やすこと全般に強い抵抗があるので、どこかの国家元首(それがたとえ毛沢東やポル・ポト、ヒトラーであっても)の写真を焼くということはあまり選択肢に入ってこない。
あえてやるとしたらチンギスハーンとか、鄧小平とか、ある視点では英雄、ある視点では悪人に映る(と思われる)故人の写真を並べて、一枚一枚燃やして灰を混ぜっかえす表現にするかもしれない。

シンプルに昭和天皇だけを燃やすというのは思想強すぎてフェアじゃないし、なんというか、こう、「この作品は拒否されたため、今や燃やされるためにあるんです!」と言っているように見えるだけで、話を聞く限り、なんだかメッセージ性として希薄な印象を受けた。
「誰の写真を燃やすか」は非常に重要なポイントで、私だったら昭和天皇含め様々な評価がある人々を選ぶことで「作品を見ている人がどんな立場にいるか」を再確認させるような映像にしたい。灰を混ぜるのは「死んだら誰も同じ」という意味でやるかなと。

でもやはり「象徴天皇を燃やす」というのは少なくともポジティブメッセージではないし、どこの国にいても「燃やしてほしくない人」はいるのであって。この話は長くなるのでまたいつか。

ふと思いついたのは「殺さないで」と書かれた赤いボタンがあって、それを押すと並べられた写真が一斉にシュレッダーにかけられる仕掛け(アナログでもデジタルでも可)とか。映像で誰かがやるのと、他でもない自分がボタンを押してインタラクティブに写真を「破壊」するのはインパクトが違うと思うので。

平和の少女像

慰安婦像が本当に「平和」の像なのかは一旦置いておいて。
ただ少女像をおいておくだけではなんだか勿体無いというか、結局韓国の一部の人々のプロパガンダに乗っかっているだけで退屈なのでもう一捻り欲しい。

2024年夏現在、聞くところ、ここ最近は少女像にイタズラする人が増えたそうじゃないか。「駐輪場がわりにされた少女」とか「撤去と書かれた黒い袋を被せられた少女」とかを展示してもいいかもと思わなくはない。タイトルをつけるなら「チャレンジされる少女たち」。

ただの目立ちたがり屋によるイタズラなのか、主張がある人による仕業なのか。少女像を置くことは本当に韓国の主張を通すに役立っているか。尹美香が「汚い金」としたアジア女性基金は本当に「汚くて」、尹美香の行ったことは本当に「良心」で「美しかった」か。

捻りを加えてこれらのことを考えてもらう展示にしたい。そしてこれが「大韓民国の検閲を通るかチャレンジ」も(国交問題にならないようであれば)やってみたいかもしれない。

日本人の墓

これも「国旗を蔑ろにする」という意味では私のポリシーに反するのでなし寄りのなしかも。
とはいえアイディアはなんとなく悪くない気がするので、せめてタイトルを「あなたのお爺さんの墓」と少しアグレッシブにしてもいいかもしれないと思ったが、必ずしも日本のお爺ちゃん世代がこの本家の作品の「日本人」にあたるかちょっとよくわからないので微妙かもしれない。

私は国旗・国章は大切にしたいタイプなので、墓ではなく棺桶をモチーフにしてみるのも作戦かもしれない。桐の棺桶の中に日本兵が眠っている。日本国旗への寄せ書きやアメリカ国旗に包まれた彼は苦しそうな顔をしている。
何で苦しんでいるのか。彼自身が手にかけた満州、朝鮮、米国、その他国々の人々の命による呪いか、それとも彼にそうするよう下された命令か、それとも。

誹謗中傷体験ルーム

当時話題になった作品群からは離れて、全く別の視点で「表現の自由・不自由」を考える。

ボックスに入ると鏡がある。映し出される鑑賞者の顔。プロジェクションマッピングで投影される誹謗中傷の数々。単なる悪口、容姿を貶す言葉(カメラで容姿の特徴を捉え言葉を選ぶ)、思想の否定、レッテル貼り。あくまでも合法な範囲で。

多分めっちゃつまんないんだけど、あってもいいかなと思うものの一つ。
「どこまで言ってよくて、どこまで言っちゃいけないの?」
そんな疑問を体験型インスタレーションで問いかける。

旭日旗シリーズ

ご本家でも「旭日旗に酷似するとして排除された作品」が展示されていたとのことで、これはネットでも擦られてるネタなのでぜひやりたい。
最近だとオリンピックのメダルにサーフボード、ちょっと前なら「鬼滅の刃」の炭治郎の耳飾り、ケイティ・ペリーのサーカスのテント模様をバックに撮影した靴、挙げ出すとキリがなさそうだ。

個人的には「カニを使ったバーガーキングの包み紙」が抗議を受けているのは流石に面白かったので大々的に展示したい。カニが「バンザーイ!!」とチップマンクボイスで叫びながら大の字になって崖から海に飛び込む映像とか…流したらバランス取れるかな。

あと金日成や毛沢東に後光が刺している絵画(どれも旭日紋様を連想させないとは流石に言えない)を複数見たことがあるのだが、それも是非お願いしたい。日本でなら展示が許されると信じたい。いや、どうなんだろう。それこそ厳戒態勢になるのだろうか。

※金日成の画像がまた見たくなって探していたところ、偶然発見したサイトが結構興味深かったのでブックマークがわりにリンクを掲載しておく

街宣右翼VS街宣左翼

音を出してOKならスピーカー搭載の二つの車両の間を鑑賞者に通り抜けるインスタレーションもやりたい。

大音量で極端な思想をぶつけ合うスピーカー。
飛び交う怒号。響き渡るクラクション。

パフォーマーが降りてきてもいいと思う。
黒服、特攻服、鉢巻、サングラス、拡声器。
赤い腕章、ヘルメット、口元をタオルで覆う、拡声器。

ステレオティピカルなスタイルで極端な思想を空間の中でぶつけ合う。

おちょくる内容ではなくてもいいと思う。実際にXとかネットでぶつかり合っているポストを映し出してもいいと思う。

誰の声を聞くのか。誰の味方になるか。
耳を塞ぐのか。そこから足早に立ち去るのか。
全ては鑑賞者次第。

思想は2つしかないのか。私たちの思想は多様なのになぜ選択肢はこんなにも少ないのか。政治思想に関する悩みは尽きない。

おみやげ

「お清め」と書かれた小袋。お帰りの際はぜひこちらを。

何、心配はいらない。ただの塩。それで心と体を清めてお帰りください。

ちなみに

本家「表現の不自由展・その後」はSNS投稿禁止だった記憶があるが、私だったらぜひ載せてもらえるような作品群にしたいと思う。やはりSNSで拡散してもらってこその「表現の自由・不自由」議論があるわけだし、積極的に作品で考察してほしい。


自由と不自由は表裏一体

私たちは自由を謳歌している。だけどそれができるのは私たち自身に不自由を課せているから。
憲法で保障される自由の全ては、それを守るための良心が私たちに委ねられていて、その良心が機能する限り有効なのだ。「憲法が私たちを守ってくれている」と思っている人はこの世には多いが、現実は逆で「憲法を守るのは私たち」なのだ。
自由を勝ち取るために私たちは戦い続けなければならないし、そのためにはお互いの自由の境界線を侵害しないように生きてかなければならない。

#妄想 #アート #パフォーマンス #表現の自由 #あいちトリエンナーレ2019 #表現の不自由展

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