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無知によって生まれる美もある。だけど

class Sample {
  public static void main(String args[]) {
    System.out.print("アイエエエ!ナンデ!?弥助ナンデ!?");
  }
}

「なんちゃってジャパン」「トンチキ日本」はもはや一種のジャンルを確立した。
「忍殺語」、近未来映画の日本語まじりの看板、「怪しい日本語」、どれも「なんちゃってジャパン」を構成する重要な要素だ。そしてこれはこれで一つの「おもしろ」として日本人に受け入れられ、一定数のファンを獲得している。

昨今は「正しい文化理解」が声高に叫ばれるようになったが、この国に対する「表面的で薄っぺらい他文化の真似事」はエンタメとして消費されてきた。そこには「かっこよければいいじゃない」といういい加減さが間違いなくあって、おそらく「日本人の評価はどうでもいい」くらいに思っていたはずだ。その「ゆるさ」がおもしろくてファンが存在しているのだと思っている。

時代が進むと多文化へのアクセスが容易になって、2014年公開の"Big Hero 6"(邦題:ベイマックス)では映画化にあたり、舞台が原作の東京からサンフランソウキョウという名の架空都市に設定された。制作日ため東京を取材した結果として劇中の街の看板は正確な日本語で、この努力は日本でも前向きに受け取られた印象がある。日本のプロモーションは詐欺的だったが、それは置いといて。

とはいえ「ブレードランナー2049」の看板は日本語の間違いがなく、原作の「なんちゃってジャパン」を楽しんでいた層には物足りなく映ったかもしれない。

日本人の文化に対する価値観は難しい。


実は少し前はゲームを仕事にしていたこともあって、アサクリシャドウズ騒動は関心がないわけではない。しかし仕事にしていただけで趣味としてゲームはやらなかったのでアサクリシリーズには携わっていないこともあって正直詳しくない。

ただ明確に言えることは今回の騒動は論点が多いということ。

  1. 過去作は架空の人物が主人公だったにも関わらず、今回は歴史上実在したとされる人物が起用されていること

  2. UBIソフトがゲームが歴史に忠実な内容であると明言したこと

  3. トレーラーの歴史考証に問題があったこと

  4. 日本向けのプロモーションで字幕に繁体字が紛れ込んでいたこと

  5. コンセプトアートの著作権と二次配布の問題

  6. 弥助に関する史実が歪めて広められていること

前述したように「多文化を表現するには慎重な調査を重ねなければならない時代になった」という前提で考えると、2.の通り「歴史に忠実」という趣旨のメッセージを発しておいて、あのトレーラーでは反感を買うのは当然だろう。
逆にUBIソフトが「今回は全くのファンタジーにしてみました!」と明言してさえいれば昔ながらの「なんちゃってジャパン」で済んだのに…。

騒動を受けてUBIソフトもコンセプトアートについて著作者と対話した上で謝罪したようだし、内容についても「歴史フィクション」と修正したようなので、もはやこれ以上UBIに何かを求めることもないかな、というのが個人的な所感だ。
悪手だとは思う。後になって言い訳を始めるのは印象悪いし、この炎上を予見できなかったとしたらUBIはアジアを軽視していると考えざるを得ない。ミャンマーの画像を使って日本を表現したのなら、昔からよくいる「アジア全体を一緒くたに見ている無教養な西洋人」によって作られたゲームであるという現実は、少なくとも日本国内では、商品イメージに強く響くだろう。(ミャンマー人も怒っていいと思う。)


さて、ここからが本題。
6.の「弥助に関する史実が歪めて広められていること」について。

これはもうゲームとは全く関係なく、下手すると国際問題だと思う。

日本国内のメディアでは弥助は「強靭な侍」として描かれるイメージが強いが、それは単純にはなからフィクションだからであって、彼が本当にそこまで高い地位だったかについては議論の余地がある。

「弥助」については歴史上多くは語られておらず、謎多き人物だ。それによりフィクションにはもってこいで、ファンタジーで肉付けをすることによって魅力的な「キャラクター」になる。

ミステリアスな人、物、事象は私たちの心を強く惹きつける。そこにロマンを感じ、夢をみることができるからだ。しかしその夢は白昼夢である。

ところで。
ウィキペディアは偉大だ。
真剣に論文を調べる程ではないけど物事の情報を得たい時にはもってこいで、読み物としても楽しい。ページをジャンプしているうちにいつの間にか小一時間経っている。
しかしその中に意図的に嘘が仕込まれていたとしたら?編集者が自分の論文や主張を宣伝するために記事を改変することで偏った内容になっていたとしたら?

私はこの騒動を細かく追っているわけではないのでどこかの教授が悪いとか、その教授が所属する大学に疑義を問うべきだとか、そこまでは言わない。

ただ歴史を湾曲して伝える罪は重いと思っている。ウィキペディアは読み手も書き手もアクセスが容易で、大衆に信用されやすい。手軽な情報ツールだからだ。そして歴史的事実に無頓着な大半の民衆にその情報は修正されないまま届いてしまう。

今回はそのケースではないが、もし相手の国がこれを契機に自国に都合の良い歴史を世界に広めて、検閲によりそれを絶対的正しさとしてしまったら?まだまだ議論の余地がある歴史的事象を「私たちはこれを正しいと定めた」と国際社会に広めて、それへの反証を「差別」などを理由に全て拒否したら?
これって国際問題に発展する話じゃないの?

まだ本件がそこまで行っているとは言わないが、その可能性がある、そして同じことをする人や組織が出てくる可能性があるとして私は今、警鐘を鳴らしている。

とても正直な気持ちを語ると、この問題がこれ以上大きくなるようなら日本の外務省は早めに抗議したほうがいい。


以前に「あなたのような意見を持つことは差別的で外国人嫌悪主義的」という指摘を受けたことがあるが、私は全くそうは思わない。私のような意見を持った人を黙らせるためだけに強い言葉を使うのならば考えを改めてもらいたい。
私は世界のどこの人でも同じ危険に遭う可能性があって、それは阻止されるべきだと考えている。それは日本人のためとか、愛国心とか、そういう小さな大義ではなくて、世界中の人々のために思っている。

#日記 #ゲーム #エンタメ #アサクリ #アサクリシャドウズ #弥助


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