ネットはオワコン② 「女性だけ割引!」は差別か否か
ネットがなんだか笑えない場所になってきた、という個人的な感想を書いてみた。
牛角の炎上(???)でさらにその理由が見えてきた気がしたのでシェアしたい。
「女性優遇は差別!」
私の知る限り「女性を優遇するのは差別だ」というフレーズは、本来は、「男性優遇は女性蔑視だ、差別だ」と主張するネット上で繰り広げられる(自称)フェミニストの主張に対するパロディのようなものだった。界隈では「カウンター」というのだろうか。詳しく知らない。
それが「ガチ」になってしまった。
ネットで「男子校」、「(外国語対応ができない飲食店による)外国人お断り」、「力仕事における女性お断り」は「差別」と断言し、抗議してきた人々によって、企業などが利益を生み出すために、あるいは損失をなくすために行なってきたことは「差別認定」を受け、破壊されてきた。
それに対して生まれたのが「女性専用車両/レディースデー/女性割引は男性差別!」の声であったと記憶している。
つまり本気で男性が差別されていることに憤っているというよりは、「お前らの言ってることはこういうことだぞ」という、社会ではなく(自称)フェミニストたちへの怒りだったように思う。
それが今や「カウンター」ではなく「本気の意見」として(世間では)捉えられるようになったし、本気でそう考えるようになった人も増えたのではないだろうか。
差別に敏感な世の中になったのだと思う。意識が変わったと言う意味では、それ自体は言うほど悪事ではないのだが…
アメリカでは「違法」だから…で、どうするのか?
「男女共同参画」を含めて「男女平等」は長い間日本でも意識されてきたと思う。さて、今回のような「性別におる価格差は差別」であることが裁判所で明言されたと言うアメリカ。「差別」「平等」に特別関心が高いイメージもあるだろう。しかしその関心は、私の知る限り、アメリカ人を含む多くの西洋人は差別的行動に出る人が多く存在していて、それが社会問題化している故である。
もし本当に日本国民の大多数が「アメリカのような社会になりたい」と思っているのなら私は別にそれを否定しない。ただ、私は個人的にはその意見を共にしない。
日本はもうアメリカ人を「ヤンキーゴーホーム!」と怒鳴りつける時代ではなくなたと思うし、黒人に向かって「汚いから黒いんだ」「クロンボ」と言う人は(少なくとも私の世代では)皆無だと思う。「人の嫌がることはしない」思想が基本的に浸透している社会で、アメリカほど厳格に「(なんらかの理由で、多少なりとも)差」をつけることを、全て、余さず「差別認定」する必要が本当にあるのだろうかと疑問には感じている。
ネットで煽りあっている人々に、ちっぽけで表現下手な私の真意が伝わるはずはないが、「もうちょっと世の中なんとかならないかな」とは思う。
これは私の感想ですよね?
映画館のレディースデーも、飲食店のレディースランチもいつの間にか消えていた。私が日本に来た頃にはまだ一部店舗にはあった記憶があるので、遥か遠い昔になくなったという感触はない。
今回の牛角の女性限定半額キャンペーンも含め、企業による特定の層への割引は広告戦略だ。女性にも来てほしい、つまり現状男性には訴求できているが女性には企業が期待しているレベルでアウトリーチできていないという経営判断が十分に読み取れるキャンペーンだと思う。『「ウーマンエコノミー」という女性をターゲットにした商売は、女性から金を巻き上げようとしているから悪だ!』と考える人もいるのかもしれないが。
映画館はレディースデーこそ消え去ったものの、「会員デー」として残っている。「個人情報を企業に引き渡してくれた人に対してだけの割引」と考えると「性差別」以上に企業利益最優先で露骨というか、資本主義的というか、なんというか。どっちの方が「いい」のかよくわからない。
誰も不快にならない社会≠誰もが幸せな社会
「もしかしたら社会的には言い辛いだけで、障害者割引も健常者を不快にさせてるのかな」と思ったりもする。私は障害者で、間違いなく恩恵を受けている。映画館も飛行機代も割引だし、一部の都が運営する施設は無料で利用できる。税金や医療費も安くなっている。それに対して「その恩恵を受けられない人に対して何も思わないんですか!?」と詰め寄られたら何も言えないかもしれない。
「それは福祉だからいいのでは?」という意見もあると思う。障害者に対するこれらの福祉は「機会の平等」を与えるために存在している。ビジネス的に障害者に訴求したいからではない。
しかし、今回の騒動や、一部の(自称)フェミニストの主張のように、いわゆる「お気持ち」や「不快感」を理由に特定の人々が享受しうる利益を完全否定される社会になったら、障害者福祉も、高齢者福祉もなくなるかもしれない。
一方でJRや私鉄各社は2025年度から精神障害者に対して運賃の割引を始めるそうで、福祉はやや拡大傾向にあるようだ。
世間は判断を迫られている。
少なくともこれをきっかけに障害者福祉が「差別的」として縮小されたら、少なくとも、私の幸せは現在よりも減らされてしまう。
「全員に配慮すること」は「全員の幸せ」にはつながらない。特に福祉の話をすると、私のような障害者に対する援助は健常者の皆さんの税金で成り立っているのであって、要するに「他人のカネ」なのだ。支援を打ち切ればマジョリティの税金や保険料が安くなって「幸せ」な人は増えるはずなのだが、マイノリティを「不幸」にする。この国にも今日の食事の心配をしている人々がいて、支援を必要としていることを忘れてはならない。
平等≠同質
男女の話に戻すと、どちらの性も、あるいはどちらの性に属さない性も皆平等でなければならない。しかし平等は同質であることを意味しない。
少なくとも身体は、染色体異常などの一部の例外を除いて、男性、女性という二つの性に分かれていて、違う風に「デザイン」されている。
女性は妊娠した時、そして出産するまで、ないし出産後も、妊娠/出産していない女性、または男性と同じような形で働き続けることはどう頑張っても難しく、休職することが必要だ。だから産休がある。男性はいくら子供を作っても自身の身体に変化は訪れないわけで、結果として「男性が働きに出て女性が(出産/子育てを含む)家事をする」という生活スタイルが存在していたのであって、別に「女性は働くべきじゃない」と考えられてきたわけでも「家事は仕事じゃない」と言われてきたわけでも、基本的にはない。(その手の戒律がある世界も存在することは私も否定はしない。)
異なる「デザイン」の身体を持つ人々に対して「男性と同質の仕事を」と言ってもそれは難しいのだ。力仕事も男性を起用した方が企業利益は上がる。男女を問わず、障害者も含めて、仕事は「適材適所」を目指すべきだと、個人的には感じている。個人を見て、能力だけでなく身体的特性も含めて、その人が得意なこと、できることを積極的にやらせることで社会を良い方向に回していけるはずで、企業利益も上がるはずなのだ。少なくとも国を挙げて企業利益を下げに行く選択肢はないと、私は、考えている。
牛角は(私の聞き齧った話が正しければ)「女性の方が少食だから半額キャンペーンを打ち出した」としていて、それがどこまで真意なのかはわからないが、「男性に損をさせようとしてキャンペーンを打ち出した」わけでは流石にあるまい。理がないので。女性は男性と性質が全く異なるターゲットであって、そこに訴求するために半額キャンペーンをするに至っただけで、「性差別」と露悪的に捉えるのは少し違うのではと感じた次第だ。
別に「男性客にもっと来てほしい」と思ったスイーツショップが「メンズ割」をやったっていいんじゃないの、と考える私は「差別的」だろうか。
「いやいや、おばさん、古いよ。意識をアップデートしなきゃダメだよ。そのままじゃただの老害だよ」と言われたら、まあそこまで。
だからこそこのnoteは遺言なのであって。
本来はアベプラの特集も見たかったのに消されて残念だ。しかしXを見ると建設的な対話というよりは、みんな大好きひろゆきさんがみんな大嫌い社会学者さんを「論破」するエンタメする内容だったっぽいのであまり意義はなかったのかな、という気もする。(ので、とりあえず見せてほしい)
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