連載/長編小説【新入社員・山崎の配属先は八丈島!?】⑨
ホテルで野球チームをやるぞ!!
フロント事務所にいるときに、誰ともなしに聞こえてきた。
「あんまり気乗りしないなあ」と心の中で呟く――兎に角、わたしは球技という球技はダメなのだ――練習しても一向にうまくならない。センスがないのである。
休憩時間にカズ兄ィとアルバイトの田辺くんがエルピの駐車場でキャッチボールを始めた。
田辺くんは野球経験があるのか、真っ直ぐ投げるボールに球威がある――少し沈んだボール曲線が手元で少し浮き上がるようだ。
受け手側のカズ兄ィのミットがいい音を響かせている。
「ナイスピッチ!!」
「いい球!!」と声が響く。
「山崎くんは野球やるの?」のカズ兄ィ
「全然、ダメです」
「ちょっと投げてみなよ」とミットを持たされた。
スーっと軟球を投げ込んでみたが、田辺くんのそれとは違って大きく弧を描いて、カズ兄ィのミットにおさまる。
「なんだかオーバースローが変だなあ?――もっと上に腕を振り上げて投げてみて」
と言われ、そのように投げてみる。
「そうそう、さっきよりは良くなった」コーチ気取りである。
なんだか、冬のシーズンはのんびりと時間が過ぎてゆく。
東京の冬よりは、随分と気候も穏やかだ――厚手のジャンバーやコートなどは不要だ。
野球のチーム練習をしようと、ある日、招集がかかった。
町営グランドに、それぞれのジャージ姿で集まった「にわかホテル野球チーム」の練習がはじまった。
いつの間にか監督気取りの「浅沼 康夫さん」がシートノックをはじめる。
康夫さんは購買課長で、影では「康りん」と呼ばれていた。既婚の四人家族、
地元民でやはりこのホテルの生え抜きメンバーの一人であり、フロントバックの事務所を仕切っていた。薄くなった髪を横わけに「バーコード状」に渡しているので、風のある日はその髪が垂れ下がってしまうのをやたらと気にしている様子だった。
太田総支配人に対しても時には「偉そうな態度」がわたしは鼻についていた。
練習に参加するのは気が乗らなかったか、いつしかメンバーにされてしまっていた。
今ちゃんはショートを守り、そこそこのプレイをしている。厨房からは唯一参加の星ちゃんが「いいぞー」とか「よーし」とファーストから元気なかけ声をかけている。カズ兄ィはセカンドを守り、歳の割には機敏な動きを見せている。日頃のぐうたら仕事ぶりが嘘のようである。「仕事の時も、これぐらい元気にして欲しいよなぁ」と心の中で呟く。
ピッチャーの田辺くんは相変わらず、いい音をさせて球を投げ込んでいる。
わたしはと言えば、ライパチ(ライトで八番のこと)である。シートノックの球すら飛んでこない。
何度か練習がおこなわれが、対戦相手がなかなか見つからないとのことで「練習試合」はお預けの日が続いた。
ホテル野球チームは結局「練習だけのチーム」で、いつの間にか消滅していった。
岩崎さんというお爺さん従業員がいた。
白い髭ずらであり、最初に見かけた時は「ヘミングウェイの老人と海」を連想した。
ホテルには営繕という仕事がある。ボイラーの点検や壊れた箇所の修理や手配などをおこなうのだ。
岩崎さんはプールサイドにある更衣室の隣にある「小屋」にいつもは居て、館内の施設点検や不備である箇所の修理をおこなって回っていた。もともと地元民ではなく、歳をとってから八丈にやってきたと聞いていた――以前は本土で不動産関係の仕事をしていたようだ。
みんなんはこの小屋のことを「岩崎小屋」と呼んでいた。
ある日、仕事を終え、この岩崎小屋の前を通りかかると灯りがもれていた。入口から中を覗き込むと、岩崎さんが何やら机のところで機械いじりをしていた。
わたしに気がつくと「ああ、中に入りな」と呼ぶ声がした。
「お疲れさまです」と言い、わたしは岩崎さんの差し出したドーナツのように円形の中央に丸い穴があいた赤い座面の椅子に腰掛けた。
隣に並ぶと、岩崎さんの古びた木製の机上には雑然とスパナやら、何かの図面などが乗っているのが見えた。その縦に狭い小屋の両方の壁際にはスチール棚が並んでいて、工具箱や、機械油の缶、ほこりをかぶって覆われた何かの機械などがびっしりと置かれている。
机の上の暖色のデスクライトが白髭の岩崎さんの横顔を煌々と照らす。
「あんたは、今年の夏から来たんだったよな、少しは慣れてきたか?」
「はい、もう直ぐ半年になります」
「そうか、あんんまりここには馴染まないほうがいい」「あんたは大学を出ているんだろう?」
「たいした所ではないですが、一応は……」
「こんなところは、さっさと切りをつけて早く出て行ったほうがいい、ここの人たちはみんな腐りきっている」
「そんなことはありません」と心の中では言ったが言葉には出なかった。
岩崎さんが続けざまにまた話し出したのもあったからだ。
「わたしみたいのが、働くにはのんびりしていて丁度いい場所だが、あんたみたいに将来のある若者がいつまでもいていい場所じゃない」
日頃は物静かで、会話をしたこともなかった岩崎さんが、その日はとても饒舌だった。
「太田総支配人も本気じゃない――夜な夜なスナック桂でママと酒飲んでいるだけ――いまに本土へ帰っていくよ」
ちなみにスナック桂は、歴代の総支配人御用達の場所であり、太田総支配人もそれを引き継いだのだ。
辛口なことを言う人だなあと思ったが、何故かそのゆっくりとした語り方と、時折みせる笑顔と、わたしへの優しさからと思わせる説得力がその言葉の端々に重みを感じさせた。今、語っている事はわたしへの思いやりと感じ取れたのだ。
「さて、今日の仕事は終わりにするか」と岩崎さんはその重たそうな腰をあげた。
わたしも「お疲れさまでした」といい、その場を辞した。
to be continued……