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今さら「アンメット ある脳外科医の日記」感想をちょっとだけ 後編

前編では、第1話に引き込まれて、ドラマの視聴継続を決めた話になりました。その、続きです。ラストを見終えて半年、未だに離れられない理由を記しておこうと思います。

アンメットは優れたドラマなのか?

私には、「優れた映画・ドラマ」を好む友人がいます。
その話を聞きながらよく思うんです。

私って、「優れた」がわからない。何をもって優れた、というべきなのか。
私はいつも、「好き」しかありません。
自分の好きが、一般的に言って、優れているのかいないのか、知らない、わからない。

というのはね。
「これ、よくあるやつ、過去の踏襲」「だけど好き」
「へったくそ!どこかで見たことある演技!」「だけど好き」
なんてこと、しょっちゅうあるんです。
その作品って、恐らく「優れてない」(笑)。優れたドラマだけを愛でる、なんて私には無理。
「アンメット」にも、多少その側面があります。

反対に、周囲が大絶賛しても、たった一つのセリフで私の中に嫌悪しか残らないということもままあるんです。

映画やドラマのコミュニティーで、☆の数を並べているものがありますが、見ていてもその基準が私にはさっぱりわかりません。
評価のポイントがみんな違うでしょう?
中には私同様、単なる好き嫌いの気持ちを星の数で表している人もおられるようだし。

まだね、例えば「同じ原作の映画、ドラマ」なら、私にもちょっとチャレンジできそうな気がしないでもありません。たとえば、「八つ墓村」とか(笑)。
制作の時代も違う、予算も違う、スタッフも配役も違う、同じなのは原作だけ。うーーん、やっぱり難しいなあ。結局、好き嫌いだけになりそうです。


若葉竜也

「アンメット」はあちこちで絶賛されて、どうやら「優れたドラマ」のようなんですけど。
優れているから好き、なのではありません。
だって、上記の通り、優れているかどうか解する能力が、私にはないんだもの。

私が今も、ずっとアンメットを語りたくて常にうずうずしているのは、三瓶先生への恋心、のようなものなのだと思っています。
noteでずっと、三瓶先生への思いを綴り続けている、と言っても過言ではありません。

だけどそもそもは、若葉竜也さん推しゆえに見始めたわけではない。
いや、そこが実は、かなり重要かもしれません。
むしろ「ん?天才?デキる男??」という意外性があったんですね。

若菜竜也さんは以前から、演技者として大好きです。
いろんな役柄を演じておられますが、
可愛い、が入った美形なのに、そこから外れた、ちょっと情けない、甘酸っぱい、人生の不条理を精一杯耐えている、心の揺らぎの表現が特に、絶品だと思ってきました。

今回の三瓶先生が、ただただ頼り甲斐ある出来る男にしか見えない、どこかで見たような二枚目な演技をしていたら。
むしろ興覚めしていた可能性も。「若葉くん、こんなかっこいいだけの役なんてしないでよ」なんてつぶやいていたかもしれない。

結果そうならないことが、若葉竜也さんの凄さなのかなあ。それも、私にはわからないところです。

仮に、三瓶先生が、若葉竜也さんでなかった、と仮定してみます。
別の……
同い年だと、〇田剛典さんとか。〇田将生さんとか。〇端淳平さんとか。
うーん、、、(笑)
どんなキャラになったか、何となく思い描ける時点で、のめり込んだとは思えません。ドラマを楽しめたとしても。

その俳優が悪いんじゃない。
私の、好みの問題!なんです。

て。……結局、三瓶LOVEの話になっちゃうなあ(笑)。


ドラマに恋する。

キャラクターとしてまず、三瓶先生は
・デキる男
・不愛想
・一途
が感じられますが、そんなキャラクターは山のようにこれまでも存在していたはずです。
ここに、若葉竜也さんがそもそも持っている個性が融合することで、初めて、私の心を鷲掴みにするキャラクターに仕上がったことは、間違いないと思っています。

そして、キャラクターに気持ちを掴まれることで、ストーリーにものめり込める。
仕草の、目配りの、一つ一つがいとおしい。
恋した相手の、全部を見つめたい。
それが私の、「アンメット」視聴の理由。きっとそう。

これは、「俳優が推しだから見る」とは、ベクトルが逆なんです。
図らずも、「役柄の推し」になってしまった。

いろいろと世間で語られてるの見て、「杉咲花さんも、若葉竜也さんも、俳優として素晴らしいんだなー。おかげで、強く支持されるドラマに仕上がったんだなー」と思っています、思っていますけれど、そんなものは、私にとっては後付けです。

三瓶先生に、作品そのものに、恋をしたんです。
もしかすると私にとって、「恋できる作品」こそが優れた作品、なのかもしれません。
だから、誰に、どんなアラを持ち出されても揺るぎません。あばたもえくぼ、ですもん(笑)。


評価しない理由

好き嫌いじゃなくて、「作品の質」「優秀か否か」で評価を下している人が、「アンメットのここがダメ」と言っているポイントがいくつかあります。

・医療のリアリティ不足
・ご都合主義
・説明不足

医療のリアリティ
については、私にはさっぱりわかりません。
治療法が古い、というのを見掛けました。
確かに、こっちは、「知らないから楽しめる」はあると思います。
たとえば、とても面白く見てるドラマなのに、方言が全然できていないことにイライラしちゃう、といった経験は私にもありますしね。

こんなに暇な病院あるか?とか言われても、「あるかもしれない、わかんない」としか言いようがありません。

こんなの、実際の医療現場じゃあり得ない!と感じる人はいて当然。

私がリアリティを感じた手術シーンだって、すべてがリアルだったらきっと私は見ていられない。
血が飛び散るとか……それは私には不要なリアリティ。

……要するに、画面に没入できるのかは、個々に差があるのは事実だと思います。

ご都合主義
もあったと思います。目が曇って(笑)よくわかっていないけれど。
それは、「リアリティ不足」「説明不足」とも、関わってくると思います。

なぜかミヤビちゃんと同じ職場にやって来る三瓶先生。
それがなきゃ、ドラマが始まりません。アンメット、というドラマ自体が生み出せない。

空きをひたすら待ってたとか。
契約上、転職に時間を要したとか。
自分に不足している記憶障害の知識を補充することが先決で、それはアメリカにいる方が叶えられる、という苦渋の選択を取ったのかもしれない。
全部、空想で好き勝手に埋める。

極めつけみたいに言われるのが、第4話の、三瓶先生手術室乱入です。

あり得ないし、許せない。
うん、わかる(笑)。
どんなに優秀でも、画面越しの一瞬の判断にしては言い切り過ぎだし、絶対にしちゃいけないこと。ですよね。
「ドラマあるあるだよ」みたいな言い方もしたくない。

これを、リアリティーがない!と断じるのは、正義感、公平性を求める気持ちの強い人の性質なんだろうと思います。

同時に、「三瓶先生の態度、やり方に腹が立つ」といった反感を持つことも、ドラマを見る上でとても重要だと考えていますが、こういうドラマを見るのはストレスなだけ、と感じるなら、それはもう、仕方ない。

「頑張れ三瓶、行っちゃえ行っちゃえ!!」と無責任に応援できるのは、私的にはまさにドラマの醍醐味。
ここでくっきりと、三瓶先生と大迫教授、二人の立場の違い、考え方の違いを実感することは、その後の展開を楽しむのに重要であり、必須だと私は思っていますし、ここを起点にまた新たなドラマのテーマが浮かび上がります。

少なくとも日本では絶対にそんな無茶苦茶は起こらないんだから、腹立つ人はドラマじゃなくてドキュメンタリー見ててください、という言い方もできるかもしれません。結局は楽しんだもん勝ち(笑)。

説明不足
は私も感じます。
それは、様々なドラマと照らして、という意味です。
個人的には、説明過多なドラマより全然好き!大好き!

「アンメット」では、どこまでセリフで説明するか?について葛藤があったのではないか、と感じるぐらいに、説明セリフのある場面とない場面に差がある気がします。

テロップでたとえば、「〇日後」といった説明もないので、時間感覚を強くは規定されない一方で、まるで脳外科の周辺では毎日居酒屋で宴会しているかのように感じる視聴者も出てしまう。

そういう、リスキーな面も確かにあったろうと思います。

だけど、私には、「想像する」楽しみをくれました。
「考察」じゃありません。謎解きでもない。

原作には説明されているのかもしれませんが、少なくともドラマの中では、ずっとその真相がわからなくてもいいんです。自力で、想像で補うのが楽しい。


謎を楽しむ

たとえば、ミヤビちゃんが事故にあったことを、三瓶先生はどうやって知ったのか。
一旦は日本に飛んできた、ということが綾野先生の口から語られていますが、どうして日本に戻るまで1年半かかったのか。

なぜ家族すら、ミヤビちゃんの婚約を知らないのか。

ミヤビちゃんのケータイに、三瓶先生の何の痕跡も残っていないと思しきなのはどうしてなのか。離れる前にお互いの連絡先を登録してなかったのか。

南アフリカへ向かったのは業務上のことのようだし、関東医大周辺人物には周知の事実。もし、事故でケータイが壊れてしまったのだとしても、ちょっと確認すれば、ミヤビちゃんにだってすぐに二人の接点はわかったろうに……とかね。

そういうことはみんな、空想で埋められる。
埋めるためのパーツを、ドラマの中に探す。
散りばめられている欠片を集める。

想像の時間が、私のアンメット愛、三瓶愛を深めている、と言ってもいいのかもしれません。

どこが、何が、このドラマは優れているのか。
私は知りません。わかりません。

私は、ただ、恋をしているのです。今もずっと。


ミヤビちゃん、カフェ店員、三瓶先生



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