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今さら「アンメット ある脳外科医の日記」感想をちょっとだけ 前編

前書き

noteで、「アンメット ある脳外科医の日記」第1話の感想を綴り続けている最中なんですが。

いやはや、、思いを言葉に置き換えるのって、時間が掛かるものなんですね。ろくすっぽ推敲するでなく、ただ思い付いたまま綴っているのに。
いや、、だからか(笑)。まとめる気、ゼロなんで(笑)。
(公開前に一度ちゃんと見直すよう、頑張っています!)

ああ。古今東西、幾多の文章を残してくれた方々、その歴史には敬意と謝意しかありません。

今後もずっと、アンメット全話の感想を綴り続ける予定なのですが、さすがに「いつまでかかるんだか」と自分に呆れてきました(笑)。でも止まらないの~(笑)

で、中途なんですが、
一応今の段階で、全話見終えた感想を少しだけ、書き残しておこうと思います。
できれば前後編ぐらいで?そこはまだ未定(笑)。

今後、購入したDVDで、ディレクターズカット版なんか見たり、原作を見たりする、あるいは繰り返し堪能する中で、思いに変化が訪れることもあるでしょう。それもまた楽しみたいですから。今の思いを書き残しておきたい。

noteを始めたことで、ちょこちょこ検索して、人の感想に触れる機会も持ちました。
だけど、ちょっと待てよ?と思ったのです。
「なるほど!」と人の感想に手を打つ前に、自分の思いをまとめておいた方が良いのでは?と。
感化されたら、またそれはそれとして、新たに感想を書いていきたいと思っています。


ありふれた医療ドラマだな?

私、ドラマを見始める前に下調べもしないし、宣伝も見ない。
ですので、誰が出るんだか、マンガ原作ってことやら医療ドラマってことすら、要するに何も知らずに見始めたのです。
で、最初に「わ」っとなったのが、三瓶先生の、キャラクターとしての魅力でした。

だけど。
第1話を見終わって、ドラマとして最初に私が思ったのは、案外ありふれた医療ドラマなんじゃないか?ということ。

ありふれた……
たとえば。
①主人公はまだ若いけれど何かしらの天才的な才能を持ち合わせている。
②未熟さや危なっかしい行動が目立ったりの主人公だけど、厳しいながらも見守る先輩や上司とぶつかり、対立しながら、人間として成長していく。
③毎話、新たな患者、新たな病と出会って、悩み、苦しみ、
④「誰か」がその解決のヒントをくれる、人と人との繋がり。
そして
⑤主人公は、実は何事か、大きな問題や謎を抱えている……
⑥ラストに向かってその謎が明かされ、問題を解決するべくクライマックスへ向かう。

みたいなね。あくまで例ですけれど、ありそうでしょう?
ああ、それか、と。その変則か、と。
いいんですよ、全然、ダメじゃないんですが。

第1話を見て、個人的に上記「ありふれた」ドラマに該当すると考えた理由は以下。

①ミヤビちゃんは、実は結構脳外科医として天才的。
②津幡師長がそれに当たりそうだし、他の同僚もどうなって行くか…
③最初の患者さんは「失語症」の赤嶺レナさんの話は終わったから次は別の患者。
④三瓶先生であり大迫教授。また、レナさんの夫も。
⑤記憶障害、という困難と、その謎。
⑥どうやら、三瓶先生が謎解明のキーマン。

この感想が、第2話ラストまで続きました。
ここまでで、下手すると「視聴はもういいか」ってなる可能性もあるぐらい、「よくあるやつ」感を持っていたんです。いや、三瓶先生の魅力には抗えなかったと思いますけれど(笑)。

正直、「失語症」も「半側無視」も、別の医療ドラマで見た記憶がありましたし。ストーリーそのものに新しい感じがしなかったんですよね。
私にとって既視感というのは、継続の理由を削いでしまうんです。
(ただ、「ありふれたドラマ」と感じるドラマは大事、必要だとも思っていて、それはまた機会があればどこかで綴りたいです)

でも同時に、逃れられない魅力を放ってもいた。わけなんです。
だからこそ、画面に釘付けになりました。

それが三瓶先生であり、カメラワークでした。


カメラワークに釘付け

とか言って。私は全くの、どが付く素人ですから、カメラの、どこがどういいか、なんて説明できません。
「何となくそう感じる」の低レベルなんです。
だけど、間違いなく、その美しく、物語を語る映像に私は感銘していたんですよね。

ミヤビちゃんの寝顔のどアップから始まった瞬間から。

他にも、窓ガラス越しに病室を見せるシーンや、目覚まし時計が転がっているだけで、朝のミヤビちゃんの苦悩のシーンだと伝えたり、はっとするシーンの連続なんですが、やはり特にドキドキしたのが、俳優の表情をドアップで追う時の、カメラの動き。
「おお?」っと見入るシーンの連続でした。

ライティング?もいいんだなあ。雰囲気が。
明るすぎない。
だから?映える光の差し込み方とか。
影の作り方とか。
アップだけじゃなくて、引きの画面の焦点の合わせ方とか。

造りがはなから「お金かかってるな~」と感じる作品なら、もしかしたらここまで感銘しなかったかもしれません。
椅子とテーブルだけのセットだったり。
ベタ病院画像とか。
そんな「一見、安そうな」場面もあるドラマなのに、ハッとする、輝くシーンが紡がれている……。


手術シーンに見入る

そしてさらに、カメラというより演出ですかねえ?
ミヤビちゃんが、過去を思い出すんじゃなくて、知らない過去を自分の日記から想像するシーンの工夫。

毎朝、同じように目覚めて、同じように苦しむようでいて、
毎朝違うんだ……
そんな大事な部分も、少ないセリフで、映像の力で見せて行く。

豪勢な海外ロケ、大規模セットもない、淡々と病院や普通の生活シーンが続くのに、全てのシーンで、目が離せない。
人の心の動きを、カメラ、演出、演技で追う。過剰な音楽演出じゃなく。

それを一番感じたのが、手術シーンでしょうか。
いつも、ただ淡々と冷静に手術が行われる。
第1話では、手術中に予定外の事態が発生しますが、そのシーンですら、こだまするのは機械音と、三瓶先生の静かな、そして誠実なセリフのみ。
みんな、目だけの演技。

「ありふれた医療ドラマ」で、恐ろしく叫ぶ看護師の声や、けたたましく煽る音楽を聞いても、すっかり「どうせ天才のおかげで(もしくはチームワークの力で)うまく行く」という安心感でまず間違いなくのんきに眺めてしまう手術シーン。

別に「手術、うまくいきますように」と祈るのでも、「ミヤビちゃん頑張れ!」と応援するのでもないのだけれど、見入る。どきどき見入る。
医療ドラマの、しかも手術シーンで、こんな体験ないなあ。そう思いました。

何を見入ってるって。
役者のひとつひとつの仕草、目の表情です。目が語っている…。仕草が伝えている。
もしかしたら、これこそが「リアルに感じる」という体験だったのでしょうか。
リアル、って、ドラマのリアル、のことですよ。ドキュメンタリーとは違う、「リアルを感じる」感覚。


名セリフは演技あってこそ

そして私は第2話の継続を文句なく決め、
さらに2話の終わりには、胸キュンの予感さえ携えて(というかすでに三瓶先生に胸キュンでしたが)、「こんなに面白いドラマ、ないよ?」と思うようになっていたのです。

第1話ですでに、核心のセリフはたくさん出ています、たとえば三瓶先生の
「繋がりましたね、川内先生の今日が、明日に」。

でもこれ、誰が、いつ、どんな顔で言うか。
誰が、どんな思いでそれを受け止めるか。
それがあって初めて、セリフはいわゆる名セリフになるんだ、って
当たり前のことを、気付かされました。

感動させよう、とするセリフははっきり言って嫌いなんですよね。
それを後押ししようと躍起になる音楽の使い方も嫌い。音楽そのものに何の罪もないんですけれど。

そう思ってきたけれど、実は、セリフにだって、罪はなかったのかもしれない…。
演技、演出が、セリフを殺してしまう、嘘くさくしてしまう、しらけさせてしまう、、そういうことだったのかもしれない。

「感動させてやる」を押し付けられるのが嫌い。
演技で、感動したい。
普遍的な「名セリフ」なんてのは、「単に読んでも感動する」んだもん。

そうか、どんなささやかなセリフでも、演技に感じ入って初めて、私にとっての名セリフになるんだなあって。
長くいろんなドラマを見ていながら、初めて、そう思ったのです。

それが詰まっていたんですね……アンメットには。

この私の、今も続く感動の源が、俳優さんたちの演技なのか。演出なのか。カメラワークなのか。その全部なのか。
未だにわからないでいるんですけれど。

続く~(笑)
続くんですこの思い!


後編、以下にアップしました。




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