叩くと苦言の境目
教育において指導がいきすぎではないか?
よく言われること。
これまでは結果で見れば…と思っていた部分もあったけど。
今回ジョッキーが亡くなった(あえてそう呼ぶ)事件はまたそこを考えさせられてしまった。死んじゃうほどのことかなぁ?芝生弁済で済むハナシ。まだ若いんだし。まぁ自覚が足りないのも事実だけど。
あえて違う角度から入ったけど、教育現場にも常に同じ問題がつきまとう。
「不適切」という指摘は、不適切でないと考えるという自己弁護の隠蔽に対して何の効力も持たない。指摘するだけ無駄ということになります。そうなると無駄にならなくするためにはいきおい過激にならざるを得ない。そうでもしないと見向きもしてもらえないならです。
普段からもう少し地道な発言や活動に目を向けていればこんなことにはならない。インフルエンサーではなく、地道にコツコツやる人間に価値を見いだすこと。
そうした価値観の流れに苦言、いわゆる指導が存在するように指導の価値観自体を考え直さなくちゃならないのではないか?
オリンピックやフワちゃんや角田大河君のことから考えたわけです。黙祷。
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