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PTSDの火花で気付かされて
性犯罪に遭ったすぐ後の、
自分を責めるような暗闇から、
やっと抜け出そうともがけ始めたくらいに、
周りから見ると「ん、なに?」と
思われがちな感じになってしまうような気がします。
あくまで自身を振り返っての私見なんですけど。
自分を取り戻そう、とするからこそ、
それまでの自分を慌てて定義しようとし、
でも自信がすっかり無くなっているから、
「だよね?ですよね?大丈夫よね?」
みたいな出し方をしてしまって、
戸惑わせた気がします。
そんな事を思い出したのも、
女性アナウンサーさんのPTSDについて
同じPTSDの人達から、
「本当のPTSDはそんなこと言わない」「PTSDの人はそんな行動しない」という声が上がっている、
というネットメディアの記事をちょっと前に見て、違和感を感じたからです。
「元々の人間がみんな違うんだから、
自分の取り戻し方もそれぞれ違うに決まってんじゃん」
と、反論者に向かって一瞬思ってしまったのですが、
よく考えたら、
叩いてる人もPTSDになるような体験をしているのだから、
本人の自覚を問わずもがいている段階で、
今の自分が思う素直な思いを出せる自分を取り戻そうとして
「だよね、ですよね」を
している可能性だってある、と気づきました。
社会正義とは別のところで、
自分を取り戻すための孤独な静かな戦いは、
哀しいかなあちこちで日々繰り広げられており、
それは、火花みたいな形で見えてしまうものかと思います。
火花がちゃんと可視化されてきた世の中だから、
チカチカしてる場所はおかしいとして、
それなりに是正される事も多くなり、
それは私みたいな旧世代からすると、小気味良い社会正義。
ちょっと前はすぐ消火させられてたし、されてたし。
まあ、自身にかかる範囲では、
(社会的に)「燃え尽くされてしまえ」となんど思ったか知れませんし、
(個人的に)「お前らみたいな幸せものには分かんないよ」
も、確かに渦巻きました。
想像ですが、
被害者ってだいたい、そういう瞬間、
ちょっとはあるんじゃないかなー、と思います。
今回の、「そんなんじゃない!」は、
個人的な後者も根っこにあるかもと感じつつも、それはそれで自然で、
そうね、と思うのですが、
なんとなく嫌なのは、
それを勝手にまとめて記事にされ、
「みんなそう言ってるしー」
みたいな感じで、アナウンサーさんを暗に責める論調が感じられた事。
なんか関係ない人が
「みんなお前のそういうトコ、
ダメって言ってるみたいよ。伝えとくね」
みたいな告げ口みたいで、なんか微妙に腹立つ。
意見を言った人も、
それを記事を作る人の意図する論調に利用されてしまうのは、
その時一瞬は肯定された感じはするかも知れないけど、
長い目で見ると、心にマイナスを残すかもしれない。
SNSが絡むとよく分からない所はあるけど、
人の言う事には一つ一つ、
その裏に深い背景があるのだから、
勝手にあれこれに断じてはいけないのはそうだと思ってます。
えー?と思う記事も、火花に小枝くべる役割を果たしてるし、
裏になんかの恨みや、企みが潜んでいるのかも、しれないですしね。