セルフ共感で
色んな方の記事を見ていると、
そうだよなー、と共感することばかりです。
生活の中でも、色んな人に共感しながら生きているのですが、
反対に、
共感してもらえる話が提供できるか、
という点において、前々から私はそもそも不得意だと思っています。
こう見えて、仕事の文章では
・文字並びの見やすさを追い求め
・ややこしいことをどれだけシンプルに伝えられるかに腐心し
・丁寧な印象を出しつつ、適切な距離感も保つ
を意識しています。意外と。
しかし、わかり易さと、共感を得られるかは別の能力。
才能が大きいと思います。
才能においては、てんで駄目です。
周りに人がいない環境で育ち、
神様的ななにかとの個人的な対話が判断の軸、というのが原点の私や私の母は、
人ズレができない。
おしゃべりでは、ついマンネリチェンジャーとしての役割を果たし、
会議とかでも、つい議論の根本的なずれを見つけてしまう迎合できなさ。
あとは努力でカバーすべきですが、やっぱりだめで。
だからといって困りはしないのですが、
万人に共通するポイントを上手に切り出す、 という共感させる能力にはあこがれます。
なぜなら、見事に切り出された話には、とても感心するし、
ラジオとか聞いていると人の話の根幹だなあ、と感じるので。
その為にはちゃんと人に向けて練習しなきゃな、とか思ってました。
しかし、ここにきて最近、
ちゃんと考えて向き合って、という意識を引き剥がして、
すごく適当に無責任に色々書いてみたら、かえって
自分が自由に書く文章は、どんな形でも自分は共感できる。
あれ、
もしかしてここがスタート?
なんて思いました。
私は私に対して懐疑的で、自分を疑ってかかるくらいでちょうど良いとは思ってますが、
セルフでの「うんうん、そうだよねー」が、みんなしてる事なら、
そこを通らずして、他人の下に届くものなんかできるわけ無い、 のか?
とにかく自分で共感できることを書いてみようと思います。
それが、自分の意見なのかなと。
今までずっと、正しいことだけがちゃんとした意見と思っていたけど、
正しくなくても、
セルフ共感のプロセスを経たものは、自分の意見と言える、
ような気がしてきました。
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