児童文学のクリスマスプレゼントと令和の現状
子供だった私のクリスマスプレゼントのイメージは、
西洋の児童文学からやってきた、特別なものでした。
ナルニア王国物語で、サンタから武器とか魔法グッズなんかを渡される展開もドキドキしましたが、
中でも、「大草原の小さな家」に出てくる、
クリスマスプレゼントがだいすきでした。
大草原の小さな家は、子供の苦労も多い生活の中だからこそ輝く特別な1日と、
ベタベタしたトルコ飴や、プリンじゃないプディングなど、
小さな家の子どもたちが、一つ一つ包みを開くたび現れる、
当時見たこともなかったお菓子の詳細な説明が大好きで、
覚えるくらい何度も読み返していました。
クリスマスプレゼントの素敵なイメージが、パンパンに膨らんでいた私にとっては、
本一冊でも
「クリスマスにもらったものだから」と、十分特別だったし、
いつか誰かに素敵なプレゼントをすることを夢見ていました。
しかし、最近の子供のクリスマスは、
なーんか夢がなくて残念です。
子供が小さい頃は、
それでも、ツリーやアドベントカレンダーなど、せっせと用意し、頑張ることに甲斐がありました。
一緒にクリスマスの工作や、
小物を作った事も特別な思い出です。
でも今は、あんなにおもちゃ好きだった子供も、プレゼントも聞くと
「うーん、特には。お金かなあ」
と、言うような年齢になり、
おもちゃを欲しがりすぎて悩ましいのも、期限付きだったんだな、
と寂寥を感じています。
児童館のクリスマス会にも、もう行く前提がない。
しかし、気を取り直し、
子供がたくさんの本を読み、ものの捉え方が深まった今こそ、
私が児童文学に与えてきてもらったドキドキを、
ポツポツとでも話してみようと思います。
娘にはよく、「お母さん、働き過ぎのガマンしすぎで、哀れな子供時代」と言われますが、
だからこそ膨らんでいた気持ちがあったことが、
伝わると良いな、と思います。