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「あんたがおかしいんだよ」の予防線

会話レベルの即時コミュニケーションで、
自分の言っている事にやたら自信ありげな人に対して、
私、昔は、
"みんな頭の回転が速くて、賢い人なんだ"、
と 思っていました。

今は、賢い人以外に最低2パターン、

①自信ありげに見せる必要がある、またはあると思っている人の類と、

②持ってる情報が少ないために、
内容を選択する必要がないので早く、
それしかないという自信を持ってしまう人の類、

は、あると思えています。

私も少しは賢くなりました!えへん。


現在は、世の中の事象全てにおいて、
一個人ではとても判断つかないレベルで、
考えなければいけない要素が沢山あるんだよ、

ということが、わりと
ちびっ子でも、本質的に理解できています。

ちょっと前までは、
「未知の知」とか定義してすら、
分かりにくかった気がします。

情報ネットワークのおかげで、
情報や知性の海の存在を、
誰でもが感じ取れ、利用できる今、

これまで、
堂々とした態度のみによって
まかり通ってきてしまってきたことは、
おおよそ無理筋になりました。

「あんたがおかしいんだよ」と、
思ってしまうし、
言いやすい世の中です。



私自身は「あんたがおかしいんだよ」と、自分が思うのを、
自制しないといけないと思ってます。

世代と言ってはなんですが、
最初に言った②のパターンの、
少な過ぎる情報で決めつけようとする人たちに振り回されてきた恨みがある、

結局自分の考えで正しかったんだ、

というのを繰り返し経験しているので、
思いがちだと思っています。

でも、大人の言うことは、
人間という良くできた有機デバイスが、数十年の長きにわたり、
機械的に見ても高度な処理をし続けてきた、
その積み重ねの結果の アウトプットです。

たとえおかしいように見えても、
なんらかの理由と真実が含まれているはず。

人の口から出る事の背景にある、
多すぎる情報と長すぎるテキストを、
うかがい知ることは難しい、
のはまず大前提。

それは、
相手が言語化してくれない以上分かるはずもないのですが、
受ける側は、
「あるはず」と思いながら受け止めるべきだと思います。

なぜなら、
少なくとも私は、言語化しきれないし、
それでも
「おまえが間違ってるんだよ」
と、そう簡単に思われたくないからです。

そして、
お互いが
「おまえがおかしいんだよ」と思いあうだけの世の中は、
嫌だからです。



なんかクドクドしてしまいましたが、
そんなことを思いつつ、
不完全にだけど、ちょっと頑張って言語化してみました。


実際の所、今も昔も 私ができることは

「この人の言っている事は、
 正しいかもしれないし、おかしな点もあるかもしれない」

「自分の思っている事は、
 正しいかもしれないし、
おかしな点もあるかもしれない」

そういう予防線を張りつつ、
必要があれば確認しながらやっていくこと、
しかないなあ、と思ってます。


ただブレブレではあって、

心を許す人には「正しいかもしれない」が「大体正しいよね」で、

さらに我が子だと「正しいと信じちゃうスタンスで行っちゃうよ」
なんですけどね。

自分すら信じない予防線がありまくりだからこそ、
そのブレこそが尊いし、
贅沢なPleasureだという認識はあって、
だからこそ手放せないんですよー。

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