旅日記② 新大阪~広島、厳島神社
久々の旅の起点や大阪の
人込みもまた懐かし匂い
少しだけ覚悟という名の荷を下ろし
また新しき旅のページを
早起きの駅よ「おはよう」置いて行く
かの地は今も待っててくれるか
平穏な日々に、時に大きな問題が降ってわくことがある。
晩年、穏やかな日々を送ることのしあわせは言うまでもないが、
そうもいかぬことも起こる。
何年か経ち笑って過ごせる日を望みつつ毎日を紡いでいくしかないが、
それでも新しい空気が吸いたくなるときがある。
そんな時は やはり、旅がいい。
暫くは、諦めていたが、急遽 思い立ち計画を実行した。
やはり、新大阪でのぞみが入ってくるのを見たとき、じーんとくるものが
あった。
さて、新大阪を出て広島へ。
広島は、前回も書いたが、何度も訪ねながらなぜか町に入ったことは
ほとんど記憶にない。学生時代の記憶くらいだ。そして、広島お好み焼きも、2回食べ損ねた。いわゆる、オーバーツーリズムもあって、エキナカの店はいつ行っても ひとが多く待ち時間が長くて次の電車の時間に間に合わなく、諦めて帰ること 行く度か。
今回は、時間に制限はないので再チャレンジのつもり。(ところが、旅の始まりにはこの件が後にえらいことになるのを、全く予想だにしなかったことが起こった。。)。(笑)
広島焼きは、夫の注文で夜にして昼は宮島口で「アナゴ飯」を食べることにした。
20年前くらい前に来た時と違い、やはり町は外国の観光客でいっぱいだった。駅前はアナゴ飯の看板が風にたなびいているが、観光客向けのような、どこでも目にする風景だ。
夫の「旅先での当地名物」を食す目的のため、アナゴ飯を探す。当然、長蛇の列。一応名前を書いて少し歩いてみる。
すると、なんと!思いがけないものに出会ったのだ。
広場でなにか催しものをしていた。
ん?酒飲み比べ?いやあ、お昼から?ないない。スルーしようと思った
瞬間、目に入ったもの!
おお!なんと!「ねえねえ あれなに?!」夫の袖を引っ張っていた。
夫の神楽好きなお陰で、私も何回か観た。一度は奈良で、あとは本場、島根県で。まさか、ここでも会おうとは。しかも、無料!(奈良の時もそうやったな)無料は、うれしすぎるやん。。見よう観ようと、当然 前のほうの席に座った。柔らかく繊細な動きの舞いから悪者と闘う強い仕草の舞いまで圧巻。演者の迫力に魅せられる。
以下
石見神楽公式サイトより抜粋
塵 輪(じんりん)
■あらすじ
第14代天皇・帯中津日子(たらしなかつひこ)が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃ちます。その中に塵輪という、身に翼があり、黒雲に乗って飛びまわり人々を害する悪鬼がいると聞き、天の鹿児弓(あまかごゆみ)、天の羽々矢(あまはばや)を持って高麻呂を従え討伐に向かい、激戦の末に退治します。
塵輪は翼を持ち黒雲に乗って飛来する鬼なので、衣裳の背中側には翼が描かれていることが多いよ。神2人鬼2人で舞台狭しと舞うので迫力満点! 石見神楽の鬼舞の代表的な演目だよ。4人とも神楽ファンに大人気なんだ。
ああ、いいもの見せてもらったねえ。。午後の演目「おろち」は観られるか?いや、とりあえず お昼にしよか。
それにしても、ほんま。満足やねえ、、なんて言いながら、あの店へ。
戻ると まだ順番が来ない。もう、いい、宮島まで行ってそこで食べることにして船に乗ろうとの結論になり、船着き場へ。
さて、アナゴ飯を食べたので、いざ 散策へ。
いつかみた祝い式の寿ぎの記憶かすかな鳥居みゆ
あと何度来られるのかと思ったら
松の景色もいとしく思え
厳島 樹にも砂にも神宿る
いつの世もそに会いに来たるを
これで、今回は終わりです。残念だったのは、厳島神社の静けさに出会えなかったこと。これは、全国、どこに行ってもそうかもしれない。「祈り」のおごそかな片鱗があったか。。??
この後、広島へ戻り広島の夜を愉しみました。
そこでは、ひとの名前(みっちゃんとかひろちゃんとかに 感動。なぜって、同じ中国地方出身で、なんか 馴染んだ懐かしい感じがした。うめこの文字に、また感嘆、noteに居なければ これ程ではないだろうな。。(笑)いてよかったあ、なんてひとりで、にやにや。マイワールドに浸ってました。)ちなみに この名前が店に多く使われている由来はきっとご存知のかたも居られるでしょうが、参考までに下記へ記しました。
夜は、例の2回も食べ損ねたお好み焼きを「てつ」という店で食べ、平和大通りを歩きました。イルミネーションで飾られたうっとりする景色でした。また、次回に書きます。。「ヒロシマ」。
予告。。。平和記念公園の一角でこんなこに会いました。
※
広島のお好み焼き 店名に「〇〇ちゃん」が多いのはなぜ? 戦争や原爆と深い関わり
手際よくお好み焼きを焼く店長の沖中幸夫さん。持ち帰りの注文も次々と入る=広島市中区新天地
最もスタンダードなへんくつやのメニュー「そば肉玉入り」=広島市中区新天地
現在は2~4階に23店舗が入るお好み村。1992年に高層ビルへ生まれ変わった=広島市中区新天地
「お客さんとの一期一会を大切にしたい」と話す藤原良太さん=広島市中区紙屋町
チョコレートで描いた原爆ドーム=広島市中区紙屋町
薄く伸ばした生地にキャベツが山盛り。その上に豚バラ肉、エビ、イカ天-。お好みの具材がキャベツを覆い、さらに炒めた麺をドサッと入れる。ジューッ。心地よい音とともに鉄板からソースが焦げるにおいが漂ってきた。広島のソウルフード「お好み焼き」。その歴史は、戦後復興と深い関わりがあることをご存じだろうか。戦後76年の夏、現地を取材すると、戦後を生き抜いた庶民のたくましい姿が見えてきた。(名倉あかり)
■コンビニより多い店舗
お好み焼きの前身は小麦粉を水で溶いて薄く焼き、ネギや削り節などをのせて食べた「一銭洋食」とされる。戦前にはおやつとして親しまれていたという。
お好み焼き店やソースメーカーなどでつくる一般財団法人「お好み焼アカデミー」(広島市西区)によると、日本全国1万6千店以上のお好み焼き店のうち、大阪府、兵庫県、広島県の3県の店舗数が全体の4割を占める。
具材をあらかじめ混ぜ込む関西風に対し、広島風は生地の上に具材を重ねて焼いていく。広島県内には1600店以上あり、広島市内は約800店が集中。その数はコンビニエンスストアよりも多いという。
■戦争未亡人の生きる糧
お好み焼きの歩みについて、老舗の一つ、創業昭和22(1947)年の「元祖へんくつや」本店(広島市中区)の店長、沖中幸夫さん(54)が、祖母から伝え聞いた話を教えてくれた。
原爆が投下された戦後、焼け野原になった広島。中心部では即席の屋台で、配給物資のメリケン粉(小麦粉)を使った生地に野菜をのせ、半分に折ったお好み焼きが作られるようになった。今と違い、肉や卵は入っていない。四角に切った船の鉄板を使って焼いた店もあったという。
みっちゃん、麗ちゃん、ふみちゃん…。「○○ちゃん」という店名は今も広島でよく見かける。戦争や原爆で夫を亡くした女性が生計を立てるために店を開いたため、女性名が多く使われているという。同アカデミーによると、戦地から帰ってきた家族が見つけやすいようにという理由もあったと言われている。
どろっとしてコクのあるお好みソースは、屋台の店主らとソース製造会社が話し合って生まれた。広島風の特徴であるそばが入った理由は「同じ鉄板で焼いていた焼きそばと、お好み焼きを合わせた『まかない』が好評になった」と沖中さん。ボリュームが増し、街の復興に汗を流した男たちの空腹を満たしたことがうかがえる。
■鉄板の前の語り部
昭和40(1965)年ごろ、屋台の店が2階建ての店舗に集まってできたのが観光名所の一つ、「お好み村」(広島市中区)。メディアが取り上げるようになり、広島の名物として浸透していった。
沖中さんは「うちは古風なお好み焼き。味は屋台時代から大きく変わっていない」と話す。どこの店も基本の材料は似ているが、生地の配合、鉄板の温度、焼き方、ソースなどはそれぞれ。「おいしさは食べる人の好み」と笑う。
コロナ禍で激減したが、修学旅行生や観光客には機会があれば店の経緯と合わせて原爆についても伝えるようにしている。「自分の家みたいに気軽に立ち寄ってほしいし、お好み焼きから広島を知ってもらえたら」。沖中さんは、鉄板を囲むにぎわいが一日も早く戻ってくることを願う。
【神戸生まれの男性も原爆ドーム近くに店舗】
原爆ドームから南東約300メートルの場所に、藤原良太さん(35)が営むお好み焼き店「もみじ亭」(広島市中区)がある。以前は外国人観光客が多く訪れていたといい、英語に苦戦しながらも広島の歴史を説明してきた。
藤原さんは神戸市で生まれ、幼少期は転勤の多い親とともに全国各地で居住。中学、高校生時代を過ごした広島は「自分にとって古里」と話す。
航空専門学校を卒業後、航空会社で働いたが、経営破綻を経験。広島に帰り、「この場所らしい仕事がしたい」と3年の修業を経て2013年に店をオープンした。
数あるお好み焼き店の中で特色を出そうと考え、内装やメニューに、昔から好きなアニメや漫画を前面に押し出した店を構えた。趣味を生かし、外国人観光客にはチョコレートで原爆ドームなどの絵を描いたプレートを提供することもあるという。
絵のサービスは、広島を訪れてくれた感謝の気持ち。「絵が思い出に残れば、きっとここで見て学んだことを忘れないでいてくれる」と語った。
出典 2021/8/11 14:00神戸新聞NEXT
下手な写真で見苦しいところはご容赦を。
広島は、こころの町です。行けてよかった。次回、また。
この詩は、旅の再出発を感じさせる感慨深い表現が特徴的です。久しぶりの旅の始まりを迎え、懐かしい街や人々との再会に心が温まる一方で、過去の経験や心の重さを少しずつ解き放つ瞬間が描かれています。
「久々の旅の起点や大阪の人込みもまた懐かし匂い」という一節からは、久しぶりに訪れる地に対する深い愛着や、過去とのつながりを感じさせます。大阪の人々の活気や街の匂いが、旅のスタートにぴったりな温かさを持っています。
また、「少しだけ覚悟という名の荷を下ろし」という部分では、心の中の重荷を軽くすることで、新しい冒険への準備が整ったことを示唆しています。覚悟という「荷」を下ろし、次の旅に向かって進む勇気が伝わってきます。
最後の「早起きの駅よ『おはよう』置いて行く」という一節では、過去の自分や今の自分と別れを告げ、未来へと向かう決意が感じられます。駅という場所が一つの区切りとなり、過去を後にし、新しい旅路に希望を抱いている様子が伝わります。
全体として、この詩は再出発の力強さとともに、過去への愛着や懐かしさを織り交ぜて、前向きな気持ちを呼び起こす美しい表現です。
4o mini
あなた:
これも。あと何度来られるのかと思ったら 松の景色もいとしく思え 厳島 樹にも砂にも神宿る いつの世もそに会いに来たるを
ChatGPT:
ChatGPT
この詩は、自然の美しさや神聖な場所への深い敬意が感じられ、心に響く静かな感動を呼び起こします。
「あと何度来られるのかと思ったら 松の景色もいとしく思え」という一節からは、時間の流れや限りあるものへの切ない思いが伝わってきます。松の木が象徴するように、自然の景色は永遠のように感じられる一方で、その美しさを「あと何度」と思うことで、今この瞬間を大切にしたいという気持ちが強く表れています。限られた機会を感じ、自然に対する深い愛情が表現されています。
次に、「厳島 樹にも砂にも神宿る いつの世もそに会いに来たるを」という部分では、厳島(宮島)の神聖さとその土地に宿る神々への敬意が表れています。自然のすべてに神が宿っているという感覚は、日本の伝統的な自然観を反映しており、土地の歴史や神々に対する尊敬の念が感じられます。「いつの世もそに会いに来たるを」という一節は、過去から現在、そして未来へと続く深いつながりを感じさせ、厳島が時間を超えても変わらずに人々を迎えてくれる存在であることを示唆しています。
全体として、この詩は、自然と神聖な場所への深い感謝と愛情を込めた表現であり、そこに宿る神々や風景を通じて、時間の流れや人間の営みの中で感じる尊さを静かに描いています。
4o mini
あなた:
ありがとうございました。
ChatGPT:
ChatGPT
こちらこそ、ありがとうございました。お話しできて嬉しかったです。もしまた何か感じることや質問があれば、いつでもお知らせくださいね。
4o mini
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