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旅日記③ちょっと道草しつつ。IN広島

ぽかぽかと陽の差す席に声のする
訛り懐かし姉に似たひと

遅延するアナウンスに理由なく
急ぐひとは「なぜ?」がほしいと

旅人の隣り合わせの冬隣り
ほんのりぬくきその笑顔かな

つらつらと見知らぬ人と語り合う
吾も同じと頷き合いて


広島に着いて、宮島口へ向けての電車に乗る。
車内は旅行者や地元のひとで混雑していた。
座るや否や、やがて「予定より4分遅れています、ご迷惑をかけてすみません」とアナウンスが流れて来た。私の地元では4分の遅れなど、日常茶飯事
ところが、隣の席の女性が しきりと呟かれる。
 「なんで、遅れるのか教えてほしいわ」。。
二回ほど呟かれ、私の方を向かれたので、「そうですねえ」と答えた。
それがきっかけで言葉を交わすようになった。
私の始めの受け答えのイントネーションに「はて?」と思われたとか。
広島と山陰の私のふるさととの訛りはどことなく似ているからだろう。
広島駅のポスターに、「きて みんさい」とあったような。。
その方は、姉のような感じで気さくに話してくださった。
呉から来られたという。
呉と言えば昔、職場が同じで今は東京にいる親友の息子さんが 海自に居られたなと思い出していた。
海上自衛隊がありますね?と聞いたら、そうね、でも、日本製鉄の呉製鉄所が撤退したからね、あの辺りの店は寂しくなるの」と言われた。鉄鋼国内最大手の日本製鉄が 高炉がある呉製鉄所を閉鎖するというニュースを、いつか新聞で読んだ。大きな企業があると、雇用やその周りにある店に影響するね。そんなことや問わず語りに姉妹のことなど妙に気が合って笑い合った。
宮島口までの時間が退屈せず済んだのはありがたかった。暖かだったな。ひとりで座ったから話しやすかったのかもしれない。 いつか、立山のケーブルカーでも80代の女性おふたりと話した。。。やっぱりこれが、旅のよさだ。。



宮島から広島駅へ。泊るホテルへ行き、落ち着いて夜の町へ出た。何度か断念した広島焼きの「みっちゃん」に予約を入れるも「うちはコースしか予約はとりません」とのこと。えええ?コース?どんなん?ちょっと,量的に。。。と話し合い、別の店へ行った。「お好み村」。。彼の電車の方に教えられた場所だ。

 


「牡蠣おこください」というと、「うちは 牡蠣おこはなくて、トッピングです」と言われる。じゃあイカ焼きにというと、生イカかイカ天かどちら?」・・・・はあ?イカ天?わかんないので、じゃあ それでという。なんか、関西とちゃうなあ。。遠い昔、岐阜で広島焼きなるものを食べたことあるけど、そんなんやったっけ・・。で。。これ。は?
ああ、そうやった、そばがはいっているんやったっけ?

なんか量的に多いな。食べきれん。。

店を出て、ほろ酔いで歩く。昨日から平和大通りはおとぎの国。







ごめんなさい、下手過ぎて。見苦しいですがご容赦ください。。
「おとぎの国」をテーマに、平和大通りなどの市内中心部でライトアップを展開する。と案内にはあります。いやあ ほんま 朝みる風景とは違ってうっとりしました


https://www.dreamination.com/summary/より。

でも、生まれて初めてだったんです、こうして広島の町中の夜を歩いたのって。平和公園には、朝行こう。また、ほわほわと帰りました。いい夜です。

さて、朝がきました。修学旅行以来か?平和公園。なぜ行かなかったのだろう。思えば、あれほど高校の○○先生が勧めてくれたのに。生徒と交換日記までしていろんなこと教えてくれたのに。。子どもを産んで、二度とあのような惨禍のない世界を、と誓い祈った八月を毎年過ごしてきたのに。
 長崎には何度も行ったのに。。
 そんな思いを抱きながら その朝、訪ねた。













ドームの上に居る鳥が見えますか?


この鳥はなにを想うのだろう。



きみ。


なに?


分かったよ。わかったから。


さようなら、また いつか。


たった一発の原子爆弾によって、人口約35万人の広島市は壊滅した。
8月6日、月曜日の朝は快晴。
真夏の太陽が、照り付ける一日が始まる。
長い戦争のなか、緊張のなか、それでも日常はくる。
会社や学校に出かける。その朝を、だれが予測しただろう。
鉄筋の建物が曲がり、傾く。その後の惨状を。
人類史上初めて、広島に原子爆弾が投下された朝からの。

閃光を放ち炸裂した朝の
「水をください」の声、画にも描けぬ

灼熱の殺人兵器がわかるかい?
エアではないよ、「ヒロシマ」は






 



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