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読書 LISTEN

私、47才男性。
個性は強め。興味ある分野にどっぷり浸かり、その分野についての知見をさらに深めたいと思っています。
同世代の皆さんも自分の人生をしっかりと歩み、各々とても個性的になってきた。
子供の頃のように「これ大体みんな好きだよね」なんて共通の話題は徐々に減ってきている。興味の有り様は人それぞれ。

40代になった頃からか、同世代同士の会話に変化を感じるようになりました。皆さん、立派な個性から湧き出る言葉は多種多様。それぞれに説得力があり、大変興味深くもあります。
でもそれが言葉と言葉のキャッチボールである会話となると、、、
あれ?
なんだ、この違和感は…
発信力が強すぎるあまり、実は相手の話を聴いてなくないですか?
聞く、ではなく聴く。

ちゃんと耳には届いてる。キャッチボールにはなっています。でも投げられたボールをしっかり受け止め、その上で返してくれたボールなのかと問われればそうでもない。確かに私が投げたボールだ。でも手元に帰ってきたそのボールは似た異なるボールになってしまっていると感じます。

それを筆者は、受け止める対応、ずらす対応、と分類している。
分かりやすく例を書く。

受け止める対応
A「最近、元気ない?」
B「実は忙しくって寝不足でさぁ」
A「それは大変だね。何が忙しいの?」

ずらす対応
A「最近、元気ない?」
B「実は忙しくって寝不足でさぁ」
A「俺も忙しくってさぁ、昨日も……」

要は話のテーマを相手から奪ってるんだよね。相手の言いたいことなんてお構いなし。とにかく自分が話したい。

みんな大人になって自分に自信がついた。その成長した自分を知ってほしい。認めて欲しい。尊敬されたい。その為には自分をアピールせねばならない。よって私は話したい。だから私の話を聞け…
気づけば私の周りは主張ばかりの会話になっていました。

残念ながら私も同類です。
私の話を聴け、私を凄いと思え。我儘で自己中心的な会話が多かったこと、とても反省しています。良質な会話ができる話し相手ではなかったように思う。

会話という日常的に当たり前に行なってきたコミュニケーション、改めてその役割と重要性を見直す事ができました。
年と共に孤独感を抱える人たちが増えていくと言います。仕事一辺倒で引退したら友人がいないシニア層も多いとか。
これはいけない!
私は日々のコミュニケーションのあり方を見直すべきだ。早々に。

傾聴の姿勢を取ることは良質なコミュニケーションの礎になる。自己承認欲求は一旦脇に置き、傾聴の姿勢で会話をしよう。相手の話したい欲求を満たしてあげると共に、相手をより理解し深く共感できるようになるはずだ。
私はそんな聞き熱心なコミュニケーション相手が欲しい。おそらく皆んなそうであろう。であればその傾聴の姿勢こそが真の友人を得れるための道筋ではなかろうか。

さぁ、自分のマウント取りたい欲求と戦っていきます!頑張ろう!

ありがとうございました。
おやすみなさい。

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