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猛暑と墓参

連日の猛暑。
各地で、続々と最高気温を記録したと報道されるが、それがどうしたと全くもって慣れっこになった。
確かに、これだけ続くとあまりに異常な暑さだと思う。
外に出ると日が当たっている場所だけでなく、日陰でも暑い。
身体全体をまるで熱膜が覆っているようだ。

 この熱膜、かつて訪れたエジプトの暑さに似てきている。息をするだけで熱風が身体の中に入るこむ感じだ。

 周りは砂だらけの世界。
昼間は殆ど外に出る人影は無く、一転、日が沈み始めると、一体今まで何処にこんなに大勢の人々が潜んでいたのかと思うぐらい、ゾロゾロと街中にはい出てくる。
日が照っている日中は、外では何もできない。まるで、昼間は人を襲う巨人でもいるかのような閉じこもりの世界。
 やがて、日本も砂漠化してしまうのだろうか。

 少しでも涼しい時間に墓参りしようと、日が陰り始める夕方になって出かける。
慣例とは言いながら、よく毎年参るものだ。季節のいい彼岸でもいいのに。

 小さい頃は、何で石に向かって拝むのか、祖父や先祖が眠っているというが、会ったこともなければ、顔すら知らない人ばかりだ。
こっちが誰かも知らないだろうし、来ても来なくてもわからないだろうと、子供心に思っていた。
むしろ暑いし、蚊はいるし、ここから早く離れたいばかり。
親について行くだけだったが、意味の解らぬ墓参りは面倒で苦痛だった。

 年を重ね、一緒に行っていた父母の名が、石に刻まれると様子が一変する。

ただの石では無くなった。

何故か、お盆が来る前に行くようになる。
石を丁寧に洗い、線香、蝋燭、そして僅かしかもたないだろう供えた花に、何度も水をやる。
両手を合わす時間が長くなる。


 エジプトのカイロでは、住んでいる住宅の地下は、お墓だと聞いた記憶がある。
いちいち墓参に行くことがなくていいなと思った。
あれ、記憶間違いだっけ?


一年に一回だけの墓参り。
決して父母や先祖のために来ているわけではない。

我が身勝手な自分自身のために、来てるだけだと思う。

そして、今年もどうにか手を合わせることができたと、ただ感謝する。

 傾きながらも、なお強い太陽が照らすもとで、光る汗がぽとりと石に落ちる。

あれだけ嫌だったのに。



合掌

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